営業で多忙のなか日米シンポを準備

キッコーマン社長 堀切功章

1993年6月、キッコーマンは財団法人流通経済研究所と共催で、米五大湖の一つミシガン湖の西にあるウィスコンシン州フォンタナのホテルで「21世紀へ向けて、食品流通はどう変わるか」をテーマに、2日間の日米シンポジウムを開いた。同州に生産拠点を設立して20年の記念行事で、日本側での準備を切り盛りした。

シンポジウムには、日本の代表的なスーパーのトップが3人、パネリストとして参加する。テーマ選びや参加交渉、進行役の財団法人理事長との打ち合わせ、料理研究家らへの講演依頼、流通業界や食品業界への参加募集など、準備は多岐にわたった。当時は営業企画部の営業企画課にいて、41歳。入社以来経験してきた設備投資や営業、商品企画とは、全く別の世界での仕事だった。

「これも天命」とでも言うべき状況で、「やるべきことを、きちんとやるだけ」と覚悟。周囲を頼らず、ほぼ1人でこなす。シンポジウムの冒頭に、「日本のしょうゆ事情」と題した30分間の映画も上映した。日本から中堅スーパーや大手食品問屋の経営者らがきてくれて、日米各100人規模の人々で、盛り上がる。

スーパーにすれば、醤油の比重は大きくはない。ただ、日本の小売業がまだ米国の事例を参考にしていた時代で、パネル討議や米経営者の講演の内容に関心があったのだろう。でも、それだけで、日本からウィスコンシン州まできてくれるだろうか。おそらく、日本の食文化を代表する醤油の生産拠点を、早々と米国に設けた企業姿勢を、評価してくれていたのではないか。そう思い、感謝した。

記念行事は5年ごとに行われ、一昨年もフォンタナであった。その時期が近づくたびに、役割の巡り合わせの不思議さを感じる。