国際化は、オランダに醤油を輸出した江戸時代にまで遡る。千葉県の野田と流山で醤油や味醂を生産してきた一族の八家が、それぞれ個人経営だった明治の初めに、万国博覧会に出品した。大正時代の1917年、八家で野田醤油株式会社を設立し、戦後の57年には米サンフランシスコに販売会社をつくった。食の世界では、かなり早い海外展開と言える。

ウィスコンシン州の生産拠点設立で、米国での普及に弾みがついた。スーパーの店頭で実演販売を展開し、醤油が合うレシピを提案する。すると、ステーキにも使うなど、米国で醤油の新しい使い方が次々に誕生する。販売量は2けた成長が続き、いまや醤油は、ほとんどの家庭にある「米国スタンダード」の調味料となった。

2007年、常務・経営企画室長だったとき、自社を長期に展望する「グローバルビジョン2020」を策定した。国内は人口減が進むので、より収益性の高い分野を増やす。規模の成長は、海外で実現する。その到達点として、ビジョンの冒頭に「キッコーマン醤油を、世界の60億人が家庭で使うグローバルスタンダードの調味料に」と描き、翌年に発表した。

その4月、2つの国際事業本部の本部長となり、自ら海外展開の責務を負う。持ち株会社制へ移行し、醤油など大黒柱の事業を担うキッコーマン食品が誕生、その社長に就任するまでの3年2カ月、年間に100日以上も海外を飛び回った。ウィスコンシン州に始まる想定外の日々が繰り返されたのは、やはり「天命」なのだろう。

「天之所以與我者、豈偶然哉」(天の我に與えし所以は、豈偶然ならんや)――天が自分にこの使命を与えたのは単なる偶然か、いや決してそうではないとの意味で、中国・宋の時代に模範文章を集めた『文章軌範』にある言葉だ。当然、やるべきことをやるように、と説く。「天命」のような巡り合わせを正面から受け止め、自然体で責務を果たしていく堀切流は、この教えに重なる。