江戸時代のうな重は「寿司3人前」の値段

ここ数年、ウナギに関するメディア報道をよく目にします。昨年は、「シラスウナギが空前の不漁で、価格が高騰」という報道が主でした。今年に入ると、「シラスウナギが豊漁で、安くなる」という楽観的な記事(1月31日「中日新聞」ほか ※1)が増えたのですが、6月からは「絶滅危惧種に指定されたので、規制をされたら高くなる」という論調に一変しました。ウナギに関して、現在得られている情報を整理して、うなぎの未来について考えてみましょう。

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「うなぎ」が安かったのはバブル期だけ

まずは、価格の推移をみてみましょう。ウナギ蒲焼き100グラムの実勢価格の推移を白線で、貨幣価値の変化を考慮するために消費者物価指数(CPI)で補正をした時系列を黄線で示しました(図参照)。CPIで補正した価値をみると、空前の高騰と言われていた昨年よりも、1972年の方がウナギの価格は高かったことがわかります。

総務省の統計でさかのぼれるのは1970年までなのですが、様々な資料から、それ以前の価格についても類推することができます。現在のようにウナギを蒲焼きにして食べるようになったのは江戸時代です。江戸時代のうなぎの蒲焼きは1皿200文ぐらいだったそうです。今の価格だと4000円前後になります。

公的な統計ではないのですが、『値段史年表 明治・大正・昭和』(朝日新聞社)という本にうな重の価格の変遷がまとめられています。昭和16年から終戦まで、統制のためにうな重は禁止されましたが、その前後を通してうな重1人前の価格は、江戸前寿司1人前の2~3倍程度となっています。歴史をひもといてみると、江戸時代以降ウナギは一貫して高級品でした。庶民の日常食だったのは、バブル期以降の20年ぐらいの短期的な現象なのです。

江戸時代には、大規模な干拓によって、ウナギの生息場所が豊富に存在しました。江戸城のお堀には大量のウナギが生息していたそうです。現在では、「江戸前」というと東京湾で獲られた魚を意味するのですが、江戸時代にはウナギを意味しました。江戸の人にとって、ウナギはきわめて身近な生物だったのです。なぜ、江戸時代にウナギが高かったかというと、淵に潜んでいるウナギを大量に捕る技術が無かったことと、職人が一つ一つ手間をかけて焼く人件費と思われます。

戦後は、内水面の開発が急激に進みました。河川はコンクリートで護岸され、汽水域の干潟は埋め立てられました。天然ウナギが住める環境が激減したことで、天然ウナギの漁獲量は激減しました。川の魚を獲って生計を立てる漁業者が減ったことも漁獲量減少の一因です。