リストラの発端は「宮崎駿監督の引退」

ことの起こりは、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーを特集した8月3日放送のドキュメンタリー番組「情熱大陸」でした。このなかで同社の株主総会の様子が映され、そこで鈴木氏が次のように発言していたのです。「言葉はちょっときついんですけれど制作部門を解体しようかと」「リストラクチャーっていうのか、再構築」「やっぱり宮崎監督の引退というのはすごく大きかった」「一旦ここらへんで小休止してこれからのことを考えてみる」。

これを受けて、ネット上では様々な反応が駆け巡りました。多くの人が「ジブリはもう新作映画は作らない」という印象を受けたようです。なかには「著作権管理会社になるんだろう」という反応もありました。

さらに話はエスカレートして、秋にKADOKAWAとの合併を控えたドワンゴがジブリを吸収合併するのではないか、という憶測も飛び交いました。ドワンゴの会長である川上量生氏がジブリの「見習いプロデューサー」を務めるなど、両社が深い関係なのは事実ですが、これは根も葉もない話のようで、川上氏が即座に全面否定のコメントを出していました。これまで盛んに企業合併を重ねてきたKADOKAWAのイメージに引きずられたのかもしれませんが、これは災難でしたね。

さてさて、スタジオジブリの「リストラクチャー」とはどういうことなのでしょうか。まず、スタジオジブリは、日本のアニメ制作会社としてはとても特殊な来歴を持っていることを忘れてはならないと思います。

スタジオジブリの創設は、徳間書店の徳間康快元会長とアニメ監督の宮崎駿氏の出会い、そしてそこから生まれた『風の谷のナウシカ』という作品に遡ります。

1978年に創刊された徳間書店の「アニメージュ」は、後に続く様々な大判アニメ雑誌の先駆けとして、アニメブームを牽引する存在でした。『未来少年コナン』や『ルパン三世カリオストロの城』などの仕事からアニメ業界で高く評価されていた宮崎監督は、82年から「アニメージュ」でマンガ作品『風の谷のナウシカ』の連載を開始します。徳間会長はこの作品を支持し、アニメ作品として映画化を推し進めます。この際に制作母体となったのが東映動画に源流をもつアニメ制作会社・トップクラフトで、本作で宮崎監督やプロデューサーを務めた高畑勲監督などと合流し(実は、宮崎、高畑両氏も東映動画出身)、1985年、『天空の城ラピュタ』の制作をきっかけに宮崎監督たちの制作を支えるためのプロダクションとしてスタジオジブリが誕生しました。鈴木プロデューサーは『風の谷のナウシカ』の徳間側の担当であり、その後ジブリに参画することになります。

極めてウェットな言い方をすれば、スタジオジブリとは宮崎監督なくしては軸を失ってしまう事業体なのです。そういう経緯論と精神論で説明してしまうのは危険なのですが、この来歴は非常に重要です。なぜならジブリが他のアニメ制作会社とは異なる「社員アニメーター体制」を敷く理由と深く関わっているからです。

アニメに限りませんが、コンテンツ制作会社は、放送局や映画館といったコンテンツを届けるインフラビジネスと比べると、ヒット作で不振作の穴を補いにくいため、その事業基盤はどうしても脆弱になります。

ですから、かつての映画会社のように、監督から俳優や大道具まで様々な職種のスタッフを社員雇用した制作チームが理想だと言われてはいるのですが、その実現は極めて困難です。実際には極々一部のスタッフのみを社員雇用し、残りのスタッフはプロジェクトごとに集めて事業を行うという形が一般的です。そんなわけで、アニメ制作の現場でも、フリーのスタッフが多いわけです(※1)