日本基督教団が抱え続けてきた「沖縄問題」

金井氏が所属する日本最大のプロテスタント教派「日本基督教団」は、長期にわたり未解決の「沖縄問題」を抱えてきた。教団内部で「合同のとらえなおしと実質化」と呼ばれるテーマがそれだ。

聖書の上に十字架
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教団は昭和44年、沖縄キリスト教団と合同。沖縄キリスト教団は日本基督教団沖縄教区に改められた。米軍統治下にあった沖縄の本土復帰に先駆けての団結は歓迎をもって受けとめられた。

だが、祝賀ムードは長く続かなかった。果たしてこれは対等な合同だったのか。そんな疑問が沖縄の信徒らを中心に提起されるようになったのだ。

合同によりカタカナの「キリスト」から漢字の「基督」へ、看板のかけかえを迫られたのは沖縄の教会だけだった。

また教団側の複数の資料によると、会員数がおおむね20人以上という教団規則の適用により、従来教会だった施設が伝道所へ格下げされる形となり、教区総会に信徒議員を送れなくなった。

終戦後の沖縄では信徒たちが収容所で信仰を守ってきた。そんな受難の歴史に鑑み、沖縄には信徒議席を特例的に認めるという議案も出されたが承認されなかった。

20年を経ても修復されない亀裂

長くくすぶっていた不満は1970年代後半から80年代にかけて「合同のとらえなおしと実質化」という議案名とともに一気に顕在化。平成8年の教団総会で、教団の「名称変更」を沖縄教区が提案したことで、組織を揺さぶる激しい論争となった。

変更案として取り沙汰されたのはカタカナの入る「日本合同キリスト教会」。総会は紛糾し、議案は継続審議を繰り返した末、14年の総会で廃案とされた。沖縄教区はこれに抗議し、教団と距離を置くことを宣言。16年以降、総会議員を選出しなくなった。その亀裂は20年以上たった今も、修復されていない。

金井氏が東京神学大大学院を修了したのが昭和58年。その牧師としての歩みは、沖縄合同問題の嵐が教団を吹き荒れた時期と重なる。

私生活上の女性問題をきっかけに、東京での牧師生活と家庭を去ることを決めたとき、金井氏の頭に浮かんだのが沖縄だった。本土の牧師としての沖縄への贖罪しょくざい――。そんな意識はなかっただろうか。