「有名な先生だから信じて乗せた」――同志社国際高の校長がそう繰り返した抗議船「不屈」の船長・金井創牧師とは何者だったのか。北海道に生まれ、東京の有名教会で牧師としてのキャリアをスタートさせた彼が沖縄に向かった理由は――。

※本稿は、産経新聞取材班『偽りの「平和学習」 沖縄・辺野古沖転覆事故の深層』(産経新聞出版)の一部を再編集したものです。

学校法人同志社への聞き取り調査に向かう文部科学省の職員(京都市上京区、2026年4月24日)
写真提供=共同通信社
学校法人同志社への聞き取り調査に向かう文部科学省の職員(京都市上京区、2026年4月24日)

校長は「先生」と繰り返し呼んだ

亡くなった抗議船「不屈」船長で牧師の金井創氏は、同志社国際高校と辺野古をつないだキーパーソンだ。北海道生まれの牧師は全国を転々としながら沖縄にたどり着いた。「平和活動家」となった牧師の人生から浮かぶものとは、そして沖縄での「平和学習」の実相とは――。

「平和活動家」として有名な先生だから、信じて乗せていた――。

事故後、同校が2日間にわたって実施した保護者説明会では、安全管理のずさんさに加え、抗議船に生徒を乗せたこと自体に疑問の声が噴出した。質疑で同校の西田喜久夫校長は乗船プログラムのイデオロギー性を否定。代わって冒頭の言葉が示すような「先生」への信頼を強調した。

「先生」と呼ばれた金井氏は日本最大のプロテスタント教派である「日本基督教団」に所属し、当時は佐敷教会(沖縄県南城市)の牧師の立場にあった。

北海道生まれの元銀行員

金井氏は、同校2年生が毎春参加する沖縄研修旅行で、初日に行われる「開会礼拝」を平成30年から担当。令和5年から導入された辺野古沖での乗船プログラムを学校側に提案した。同校の研修旅行には欠かせない存在となった金井氏はいかなる活動を経て、この地にたどり着いたのか。

金井氏は昭和29年9月、北海道岩内町で生まれた。父親は北海教区で高名な牧師だったという。早稲田大政治経済学部卒業後は地元の銀行に入行するも、1年で退職し、父と同じ道をたどることを決意。牧師を養成する東京神学大に進み、その後は日本基督教団の富士見町教会(東京都千代田区)に伝道師として着任した。