『竜馬がゆく』が描いた男性と男性集団
司馬が、「男色」を古い「悪風」と把握していることはその一つの証左ですが、もう少しことは複雑です。
そもそも、近代社会は男性の価値に基づいた、男性優位の体制として形成されます。男性原理の社会で、男性と男性の関係を基礎におき、男性関係をもととした編成がされ、各人は男性であれ女性であれ、そこを基準に自己の位置を測ることになります。
ホモソーシャルな社会編成といわれるものですが、この男性関係社会では、ホモフォビアとミソジニー(女性蔑視)を伴います。公的な社会を担う男性同仕は、私的な領域でなされる恋愛とは異なる関係性を要請されます。友情が尊重され、男性の同性愛が嫌悪されるのです(前川直哉)。
換言すれば、「男色」は近代社会の編成原理と抵触することとなり、近代社会から排斥されます。『竜馬がゆく』では、竜馬の周囲にこそ、女性が次々に登場しますが、土佐藩の面々にせよ、千葉道場の生活にせよ、あるいは幕末期の政情にせよ、その叙述に現れてくるのは、男性と男性集団です。司馬は、近代精神に基づき、男性集団を選択し、男性原理によって、明治維新前夜の近代社会形成期を描こうとしています。
乙女、田鶴、さな子、冴の共通点
こうした観点からみるとき、竜馬の周囲に登場する女性は、近代社会を脅かすのではなく、それを支える女性として、描き出されていることに気がつきます。
乙女、田鶴、さな子、冴と、竜馬に深くかかわった女性たちを並べていくと、いずれも姉のまなざしで竜馬をみています。竜馬のなかには、なにかしら光り輝ける者が住んでおり、それが「女性の容姿をもっている」という記述があります。
これが、竜馬の監視をするのである。女性の眼で、監視をするのだ、いい男になれ、と。ときには竜馬に意地のわるい眼つきをし、ときにはひどく寛容な眼で微笑してくれる。ところが竜馬はこの女性像に惚れこんでいるから、頭をかかえて服従せざるをえない。(1‐172)
