闘技場が美を分かち合う場になった

私が注目したのは、ヴェローナ・アリーナという歴史的な空間で、身体の動きや芸術を通して「Beauty in Action(美の躍動)」が表現されたことだった。かつて闘いの場だった円形闘技場で、人々が美を分かち合う。その光景に、『神曲』の地獄から煉獄を経て天国へ進む道筋を重ねて読んだ。

この三部構造の意味は、苦難の後に希望が来るというだけでは尽くせない。地獄と天国の間には、煉獄がある。過ちに向き合い、自分を変える努力を続けなければ、回復には至らない。私は閉会式の表現を、分断や苦難を経験した世界が、再び関係を結び直す可能性を示すものとして受け止めた。

年初の2本で、トランプ大統領の政治に重ねて権力の過剰と修正不能の危険を論じ、2月25日の記事では、その連鎖から抜け出す道を考えた。その3日後に始まった対イラン攻撃によって、武力の拡大を止め、秩序をどう回復するかという問いは、一層切実なものになった。五輪の記事に込めたのは、現実の厳しさを直視したうえで、世界が「地獄篇」にとどまらないための条件を探ろうという意志だった。

組織でも、大きな失敗や対立の後に、明るい目標を掲げるだけでは人は動き出せない。何が傷つき、何を改め、どう信頼を取り戻すかという過程が必要になる。古典は、危機を見抜くだけでなく、危機を経験した人々が前へ進むためにも使える。本書で日本の未来を考える際にも、この回復への視点を大切にした。

同じ言葉で合意しても同じ行動にはならない

4月14日の記事〈トランプ氏は停戦協議で「致命的なミス」を犯した…2500年前に「100回戦っても負けない方法」を説いた孫子の教え〉では、米国とイランの停戦をめぐる認識の食い違いを、『孫子』と現代SF『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を手がかりに考えた。

SF作品で着目したのは、言語も身体の仕組みも異なる二者が、どのように理解と信頼を築いたかという過程である。相手の価値観や内面をすべて理解できなくても、共に取り組むべき使命を見いだすことはできる。二者はその使命を起点に、互いの働きかけにどのような反応が返り、どのような結果が生まれるかを確かめながら、一緒に行動できる範囲を広げていく。相手の意図を推し量るだけでなく、行動と結果の対応を繰り返し確認し、予測できることを増やす。その積み重ねが、「この相手となら協力できる」という信頼につながるのである。

私はこの姿に、戦争の当事者が目指すべき関係を見た。米国とイランが互いの世界観に同意することは難しくても、これ以上の犠牲と破壊を防ぐという目的を共有し、そのために双方が何をするかを具体的に決める道は探れる。相手にも自分と同じ言葉の意味や合理性を当てはめれば、合意はすれ違う。だからこそ、相手が何を恐れ、何を守ろうとし、どの条件なら行動を変えられるのかを確かめる必要がある。