田中史朗(スーパーラグビーにも挑戦するパナソニックSH)
ノーサイドの瞬間、青色のベンチコートを着たまま、パナソニックのベンチを飛び出した。166cmのからだで転がるように駆け、歓喜の輪に加わった。笑顔がはじける。
「ほんとうに、やっと(優勝を)取り返したな、という感激でした。いろんな方への感謝の気持ちがあふれてきました」
2月11日。ラグビー・トップリーグ(TL)のプレーオフトーナメント決勝(秩父宮ラグビー場)で、パナソニックが45-22でサントリーに逆転勝ちし、3季ぶり2度目の王座についた。社名が、三洋電機からパナソニックに変わったのが2011年度。パナソニックという名では、初めてのタイトル奪取となった。
「やっぱり、2年間、パナソニックに名前がなってから、タイトルを獲ってなかったので……。サントリーを倒し、パナソニックの名前を日本中に知らしめたかった。レベルの高いラグビーができました」
チームにリズムをつくったのが、スクラムハーフ(SH)の田中史朗である。小柄なからだを張ってタックルし、攻めてはボールをテンポ良くさばき、スタンドオフ(SO)のベリック・バーンズの好プレーを引き出した。奮闘しながら、終了直前、メンバー交代でベンチに下がっていた。
田中は、チームメイトの堀江翔太と共に世界最高峰リーグの「スーパーラグビー」に挑戦している。ニュージーランド(NZ)、オーストラリア、南アフリカの3カ国、計15のクラブチームで行われるリーグ。日本代表でもある田中は、2011年ワールドカップ(W杯)で1勝も挙げられなかったこともあり、レベルアップを期し、海を渡った。
田中は、NZのハイランダーズでもプレーしている。タフな試合でもまれ、激しいプレッシャーをかけられた中でも、正確なパスを出せるようになった。相手と接触するコンタクトプレーも強くなった。
メンタルも、である。2月1日のプレーオフ準決勝のあと、NZに渡ってハイランダーズの練習に参加し、8日に帰国。この決勝を戦い、12日には南半球に飛び立った。「ハードスケジュールも言い訳にはならない」と、言い切るのだ。
「堀江と僕が世界に出て、その選手がいるチームが負けてしまうと、世界の価値が下がってしまう。だから、何としてでも勝とうと心に決めていました」
田中は京都府出身。京都の伏見工業高校1年生の時、全国高校ラグビーで日本一を経験した。京都産業大学を経て、三洋電機(現パナソニック)に加入する。2008年には日本代表に選出され、いまやジャパンには欠かせない中心選手となっている。
小柄なからだは闘争心の塊である。負けず嫌いでもある。NZで得たものは?
「選手の意識の高さ、ひとり一人のラグビーに取り組む姿勢です。どんな時でも、リラックスしながら、100%の集中を見せてくれる。常にヒャクパー(100%)。準備でも、試合でも、です」
課題は? と聞けば、「ディフェンスを強くしたい」と即答した。
「高いレベルの選手と試合をしないと自分のレベルアップはない。まずは、ひとつひとつの小さいことを、もっともっとレベルアップしたい。基本プレーをもっともっと、継続してやっていきたいのです」
29歳はそう言って、少年のごとく、目を輝かせるのである。ああ『向上心』とは尊い。そして、まぶしい。