会社が「家族扱い」をやめたから、従業員もやめた
日本生産性本部が1969年度から続けてきた新入社員を対象にした「『働くことの意識』調査」でも、2019年度には「人並み以上に働きたい」が29.0%まで低下する一方、「人並みで十分」は63.5%まで上昇し、過去最高を更新した。「好んで苦労することはない」も37.3%と過去最高だった。
同じ日本生産性本部による2018年度「新入社員 春の意識調査」では、「残業は多いが、仕事を通じて自分のキャリア、専門能力を高められる職場」と「残業が少なく、平日でも自分の時間を持て、趣味などに時間が使える職場」の二択で、後者を選んだ新入社員が75.9%に達している。1998年の設問開始以来もっとも高い数字だった。
会社が「家族」であることをやめたので、従業員も会社を「家族」だと思うことをやめた。会社が人生を丸抱えする共同体から労働契約の場へ変わったのだから、従業員も会社を「アバターでログインしてクエストをこなし、生活費を得る場所」へ変更しただけである。若者たちは会社で働くことそのものを拒絶しているわけではない。朝になれば嫌々ながらもアバターをまとってログインし、与えられた仕事をこなす。給料が上がればうれしいし、条件がよければ転職もする。しかし、そこに「本当の自分」まで持っていく理由はない。
消えたのは「会社への帰属意識」
――そう、冒頭で述べたとおり、ここで減っているのは単なる就労意欲だけではない。もっと根っこのところにある、「この会社の一員として生きていく」「この労働社会のなかで自分の居場所をつくる」という帰属の意欲である。
帰属意識が薄まってしまえば、組織のなかで高く評価されることや、肩書きを得ることが、そのまま人生の成功であるという感覚も薄れていく。それを得たいとも思わなくなる。だから“オキニ”の服は持っていかない。結婚したことも積極的には話さない。自分の趣味も、恋人も、休日も、会社の人間関係のなかにはなるべく持ち込まない。必要な時間だけ「あちら側」へログインし、仕事が終わったら「こちら側」へ帰ってくる。
「静かな退職」とは、その働き方だけを指した言葉ではない。その背後には、会社という共同体から自分の人格を静かに撤収させていく若者たちの大きな社会意識の変化がある。会社ひいては社会が若者の人生にかかわることをやめた結果、若者もまた会社や社会に自分を預けることをやめたのである。
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