社員旅行、社内運動会、休日のゴルフ…
ではなぜここまで会社と自分を切り離すようになったのか。理由は単純である。労働社会の側が先に若い人たちの人生と会社とを切り離したからだ。
昭和後期から平成前期までの会社組織というものは、いまの若者から見れば信じられないほど従業員の「私」の領域に入り込んでいた。飲み会、社員旅行、社内運動会、休日のゴルフ、社宅。結婚した、子どもが生まれた、家を買った、親が病気になった――そうしたことまで会社が把握し、有形無形の介入をしていた。なんなら墓まで用意する会社すらあった。
いまの価値観だと「うわっ」と引いてしまう人もいるかもしれない。文字どおりかなりウェットな世界だが、その代わり会社も従業員の人生を相当程度まで引き受けていた。長く勤めれば給料は上がる。簡単にはクビにならない。住宅や家族に関する福利厚生もある。縁談の面倒まで見る会社もあり、定年まで勤めれば退職金もある。「ここでちゃんと働いていれば、まあ人生はなんとかなる」という見通しを会社が提供していたのである。
会社側が先に「私」を切り離した
ところがバブル崩壊後、この交換関係は急速に崩れていった。会社はあなたの人生を保証しない。自分のキャリアは自分で考え、市場価値を高め、必要なら転職する。会社に依存せず、自律的にキャリアを形成する。老後のお金も自分で準備する。企業の側が「あなたと弊社は労働契約で結ばれているだけであり、あなたの人生そのものには責任を負わない」という方向へ進んだのである。
ようするに会社側こそが先んじて、「全人格なんか預けず、アバターでログインするくらいにしてくれ」と言いはじめたのだ。「こちらもあなたをアバターとして扱う。その“中の人”の人生までは責任を負えない」と。それはお互いにとってよかった面もあっただろう。

