なぜ口裂け女は100メートルを「三秒」で走るのか
口裂け女の噂が全国に伝播していく中で、「100メートルを三秒で走る」「実は三姉妹の末っ子で、姉たちも整形に失敗している」「三のつく場所(三丁目の交差点など)によく現れる」「ポマードと三回唱えると逃げていく」といったように、なぜか執拗なまでに「三」という数字への収斂が進んでいったのです。
こうしたことは、誰か1人のプロデューサーが仕掛けたわけではありません。何千、何万という人びとの脳を伝言ゲームのように通過していく中で、脳のメモリの限界と「覚えやすさの追求」によって、物語が自然と「三」のパターンを持つものへと自動整形されていった結果なのです。
さらに、恐怖の物語が人びとの脳に強烈にコミットし、長命な伝承として勝ち残るための「キャラクターデザイン」の法則が存在します。宗教認知科学の分野で提唱されている「最小反直観性(minimal counterintuitiveness)」という理論です。
簡単に言えば、人間の脳にとって最も効率よく記憶に残り、思わず他人に話したくなってしまうのは、「基本的には私たちがよく知っている現実(直観的常識)に従っているが、ごく一部(1〜2点)だけ、ルール違反(反直観性)がある」という存在です(Justin L. Barrett,“ Exploring the natural foundations of religion”, Trends in Cognitive Science 4)。
砂かけ婆が風変わりなビジュアルではないワケ
「砂かけ婆」という「妖怪」を例に考えてみましょう。砂かけ婆というキャラクターは、ベースはただの「お婆さん」という日常的な存在です。そこに、「誰もいないのに、通りかかると上からバラバラと砂を撒いてくる」という異例さを「1点だけ」追加したのです。逆に言えば、砂かけ婆には砂を撒くこと以外に、特に風変わりな点はありません。
もし、これが「全身がピカピカと発光し、背中から炎を吹き出して空を飛びながら砂を撒くお婆さん」だったとしたらどうでしょうか。ビジュアルとしては非常に派手で強烈ですが、このような存在は、脳にとって「直観に反する要素(ルール違反)」が多すぎます。
設定が複雑すぎて処理コストが高くなり、伝言ゲームの途中でディテールが抜け落ちてしまうため、結果として人びとの口から語られなくなっていきます。
情報としての生存競争に負けてしまうのです。
日本の「妖怪」デザインを見渡してみると、驚くほど多くが、この「日常に1、2点だけルール違反を加える」という最小反直観性のルールを忠実に守っていることに気づきます。
たとえば、お馴染みの「一つ目小僧」や「からかさ小僧」、「一本だたら」といった「妖怪」たちもそうです。彼らの姿を思い出してください。ベースとなっているのは、私たちが毎日見ている「人間の子ども」であったり、日常道具である「傘」であったりします。
そこに加えられている変更点は、ただ1点、目が「1つだけ」になっている、あるいは足が「1本だけ」になっているという、肉体的な引き算だけです。腕が8本あって、頭が3つあって、口から毒霧を吐く……というような過剰な盛られ方はしていません。

