「戦場の魔法使い」でもあった両雄

先に武田信玄は自ら呪術祈祷に勤しんだと書きましたが、実は上杉謙信も、高野山で密教秘法の伝授を受け、その師範を意味する阿闍梨の位を得ていたようです。とすれば、怨敵調伏の祈祷も自ら行じたでしょう。いうなれば、両者はともに“戦場の魔法使い”だったわけです。

では、武将らはなぜ飯縄権現を信奉したのか。飯縄権現の何が彼らをひきつけたのか。

まず特筆すべきは、戦の現場で力を発揮するというマジカルな術法です。

先述したように、飯縄権現は信州の飯縄山を発祥とする仏神ですが、この山で修行した信濃国荻野(現在の長野市)の地頭・伊藤兵部太夫忠縄とその子・次郎太夫盛縄が、神通力を得て「飯縄法」なる秘法を編み出し、代々「千日太夫」を名乗ったとされます。

「飯縄法」は、しばしば“妖術”と称され、具体的には飯縄(綱)山で“管狐くだぎつね”と呼ばれる小動物を得て、長さ四、五寸(約13.5cm〜15cm)の管に入れて養い、常に懐中して、霊能呪術に用いたとされています。伝説では、管狐は著しい霊能力を持ち、変幻出没自在で、予言をなし、人になつき、飼い主には非常な利益をもたらすものと信じられ、恐れられたようです(参考=高尾山薬王院ウェブサイト)。

「仇なす者をみじんに砕く」秘法

実際に飯縄明神(権現)を祀る祈祷僧によれば、「飯縄法では『護法神』、『大天縛』『小天縛』(天縛は天狗と同一の存在)を使わして、明神の仇をなす者をみじんに砕く」とされており、具体的には「印に息を吹き込み、自らの念を天狐や地狐として飛ばすというもの」だったといいます(『修験道の本―神と仏が融合する山界曼荼羅 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 8)』第6章、羽田守快「秘技・呪法の世界」より)。

ちなみに、武田信玄とその子勝頼は、飯縄法を継承する千日太夫(飯縄修験の長)に、武運と戦勝の祈祷を依頼するのと引き換えに領地を保護するという形で主従関係を結んでいたといわれます。