東京・大手町のオフィス街に、武将・平将門の首を祀った「将門塚」がある。一体なぜか。ノンフィクションライターの本田不二雄さんは「将門は平安時代中期、実力主義の武士の世を先取りする反乱を起こした武将だ。後の戦国武将たちによって、中央の圧迫に屈しない坂東武者のアイコンとして仰がれてきた」という――。

平将門の伝説は後に歌舞伎の題材にもなった――豊原国周による浮世絵『前太平記擬玉殿 平親王将門 市川左団次』(1890)
平将門の伝説は後に歌舞伎の題材にもなった――豊原国周による浮世絵「前太平記擬玉殿 平親王将門 市川左団次」(1890)(写真=ウォルターズ美術館所蔵/PD-Art (PD-old-100)/Wikimedia Commons

自ら「新皇」と称した大胆不敵

日本には「八百万やおよろずの神」という言葉があります。つまり自然物からモノにいたるまで祭神は数限りなく存在するわけですが、なかには「神になった人」もいます。

ではどんな人(の霊魂)が神になるのか。大別すれば、(1)偉大な業績やすぐれた徳を有した人、(2)たたりをなすと恐れられた人、が挙げられるでしょう。今回紹介する平将門公は、この(1)と(2)ともに合致する人物です。

さて、平将門(903~940)とは何者でしょう。

平安時代の中期に実在した坂東(関東)を代表する武士・豪族で、50代桓武天皇の血を引く、いわゆる桓武平氏の末裔まつえい。父親は武門の誉ともいうべき鎮守府将軍を務めた平良将たいらのよしまさです。

平氏一族の領地争いに端を発する関東諸国の戦乱のなかで頭角をあらわし、国府を次々と攻略、その官印を奪い、実力で地方行政権を掌握。ついには、天神・菅原道真の神託を後ろ盾に、自らを「新皇」と称するにいたります。

新皇すなわち「新しい天皇」。なんということでしょう。そんな称号を名乗った人物は、後にも先にもいません。説明するまでもなく、それはいにしえより続く天皇中心の秩序を真っ向から否定し、関東に独自の独立国家を樹立しようとする史上類を見ない大胆不敵な試みにほかなりませんでした。