徳川家康は、生涯何度も絶体絶命のピンチに襲われた。ノンフィクションライターの本田不二雄さんは「そんな家康には、生涯崇敬のまことを捧げた守り本尊(守護仏)があった。通称・黒本尊、増上寺安国殿の本尊、阿弥陀如来の立像だ」という――。
東京屈指の大寺院、増上寺の秘仏
戦国最後の覇者、徳川家康。しかしその生涯は、幼いころからの不遇や挫折に加え、手痛い敗北あり、危うく命を落としかねないピンチありと、紆余曲折の連続でした。
そんな家康には、生涯崇敬のまことを捧げた守り本尊(守護仏)がありました。通称・黒本尊。増上寺安国殿の本尊、阿弥陀如来の立像です。
お江戸・東京を代表する大寺院のひとつ増上寺。港区芝のランドマークとして知られる三門(三解脱門、現在は工事中)をくぐれば、東京タワーや麻布台ヒルズをバックに従えた本堂(大殿)がドンとあらわれます。
お寺によれば、三解脱門から大殿へのアプローチは、穢土(この世)から極楽浄土にいたる道とのことですが、その大殿の向かって右脇の安国殿に、世に知られたもうひとつの秘仏本尊が奉安されています。
「黒本尊」なる異称にはどこかモノモノしい響きがありますが、この“黒”は、祈祷のさいの薫香に燻されて黒ずんでしまったことによるとも、人々の悪事や災難を一心に受け止めたことで黒くなったからともいわれています。
このほか、もとは源義経こと九郎判官の守り本尊で、「九郎本尊」が黒本尊に転訛したともいわれていたり、本像とは別に「白本尊」も実在している(静岡市・宝台院蔵)という話もあったりしますが、まずは話を進めましょう。
縁の始まりは三河一向一揆
家康と黒本尊との奇縁は、「家康三大危機」の最初のひとつ、三河一向一揆(1563~64年)のときにさかのぼります。
当時、家康は20歳そこそこ。三河国(愛知県東部)岡崎城の若き殿様でしたが、この地で勢力を拡大した一向宗(浄土真宗)の門徒が一斉に蜂起。のみならず、家臣のなかからも一揆側に寝返る者も続出し、組織崩壊のリスクに直面します。

