汗をかいた仏様の背中に鉄砲の弾痕?
阿弥陀仏が盾になって家康を守ったと思しき伝説もあります。
戦国時代最後の戦となった大坂冬の陣では、大阪城の南、茶臼山に陣を構えた徳川方の陣前で交戦が勃発しました。
そんななか、味方の陣中より黒糸威の鎧を着た“法師武者”があらわれ、飛ぶ鳥のごとく群がる敵中へ駆け入り、予測不能にして獅子奮迅のはたらきをなし、またたく間に徳川方を勝利に導いたといわれています。
「まことに人間わざではございませんでした」そんな戦況報告を聞いた家康は、おもむろに黒本尊の御厨子の扉を開き、中をあらためたところ、不思議なことに尊像の全身が発熱して汗が流れ、御背中には鉄砲の痕がついていた……とのこと。
なんということでしょう。相対した真田方の攻勢に、味方(徳川方)危うしと、黒本尊が加勢してくれたのでしょうか。伝説では、「感涙した家康は、総毛が立つ思いでますます黒本尊を尊び、仏恩のありがたさを思い知った」と結んでいます(『黒本尊縁起』、『遊歴雑記』巻之下、第三十二)。
戦国乱世の覇者を支えた確信
伝説はいわば“後づけの説明”です。無数にありえたシナリオのなかから、なぜその結論に導かれていったのか。実際は偶然や運が左右するなか、だれもが納得するのは、“神仏の奇跡譚”だったのかもしれません。
ともあれ、徳川家康が、戦国乱世の日本をひとつにまとめ、約260年続く「パックス・トクガワーナ」(徳川の平和)をもたらした徳川将軍家の祖だったのはまぎれもない事実です。
その生涯において、不遇や挫折を何度も経験し、命を危うくするピンチに見舞われたことも一度や二度ではありませんでした。その軌跡を見ていくと、状況判断や危機回避において、まさにこれしかありえなかったと思える判断と選択の連続だったことがわかります。
黒本尊は、そんな家康が常に身近に安置して祈りを凝らした守り本尊でした。
それがどれほどの助けになったのかはもはや家康本人にしかわかりませんが、ときに戦友のようなパートナーとなり、ときにみずからを導く師になり、心が崩れそうなときは自身を守ってくれる精神的支柱でもあったでしょう。そしてそのことは、危機を乗り越えるほどに確信へと変わっていったと想像できます。
逆にいえば、その支え(確信)があったからこそ、正しい判断や選択が可能となり、結果として戦国乱世の覇者たりえたといえるかもしれません。

