ご利益は納得の「勝運」

そんな黒本尊の功徳(ご利益)をひと言でいうなら、「勝運」の二文字につきます。徳川家康といういわば“究極の勝ち上がり”の守護者ですから、これ以上に頼もしい存在はいないでしょう。

黒本尊の御札各種
写真提供=大本山増上寺
黒本尊の御札各種

勝負ごとは、人生のさまざまな場面につきものです。出世争いはもとより、さまざまな競争相手としのぎを削る日々を送る人も多いことでしょう。事業や営業、プレゼンやコンペの勝利、試験の合格もしかり。ときには己との戦いに勝つことも重要になってきます。

ただし、黒本尊の功徳(ご利益)は、たんに勝負の勝ち負けだけではないようです。増上寺のHPを読めば、黒本尊の「物事がすぐれた方へ向かう」功徳が強調されています。これはどういうことでしょう。

「勝れた方に向かう」とは、もちろん「勝利に向かう」イコール「勝運・強運」を意味しますが、どちらかといえば、最終的な勝利、より良い成功といったニュアンスを思わせます。つまり、短期的な勝ち負けではなく、長期的なスパンで目標を成就させるご利益といっていいでしょう。

その根拠は、いうまでもなく長く続いた戦国乱世を終わらせ、長くつづく平和をもたらした神君家康公の事跡にあります。

また、勝れた方に向かうためには、キャリアの転換点や迷いが生じやすい場面で情に流されず、ときに厳しく、ときに寛容さを忘れず、チームや組織にとって「勝れた」(最良の)方向を選択できる冷静さと判断力が必要でしょう。先の三河一向一揆の場面は、黒本尊の功徳を物語る最良のケーススタディといえるかもしれません。

戦う仏でなく、許す仏に帰依した

もうひとつ、筆者なりのポイントをあげるとすれば、家康公の守り本尊が阿弥陀仏だったということです。

たとえば、武田信玄にとっての不動明王や、上杉謙信にとっての毘沙門天、あるいは両者が崇めたといわれる飯縄権現をはじめ、多くの戦国武将がすがった“武神”は、いずれも怨敵降伏の呪術祈祷の本尊でした。いわば戦いの勝利に特化した神仏です。

しかし阿弥陀仏はちがいます。家康は「三河一向一揆」で相手側に寝返った家臣たちに、こう語りかけたといいます。

「現世は仮の世であり、来世は長い(永遠である)。われら(為政者)は仮の主人で、阿弥陀仏こそ永遠の主と思うべきである」「私(家康)も一向宗の皆も、ともに阿弥陀仏に導かれる存在であり、ともに許しをいただける存在であるから、皆もこれまで同様、本心に立ち返ろうではないか」(『東照宮御実紀附録 巻十七』より意訳)