信玄は陣中で祈祷、謙信は兜の前立てに
その証拠なるものも伝わっています。ひとつは武田信玄所用とされる飯縄権現の画軸。信玄が居住した躑躅ヶ崎館の敷地内にあった飯綱堂にこの像を掲げ、自ら祈願したとされるもの。信玄はまた、戦の陣中に飯縄権現の小像を携帯し、具体的祈祷の手順が記された『飯縄法次第』なるテキストを携えていたともいわれています。
つまり、信玄はただ信仰するだけでなく、戦場にて飯縄権現像を祀り、修験者さながらの呪術祈祷にいそしんでいたと考えられているのです。
その点では、上杉謙信も負けず劣らずでした。謙信といえば、自らを毘沙門天の化身とし、その頭文字の「毘」を軍旗に掲げたように、毘沙門天信仰で知られています。その一方で、実は飯縄権現への信仰も篤く、何と兜の前立てに飯縄権現の像を掲げていたことが知られています。
兜の前立ては、乱戦の中で味方に位置を示す「標識」にして、自らの精神世界や信仰をあらわす、アイデンティティーそのものでした。この前立ては戦の現場というより、閲兵や出陣儀式の際に装着されていたと考えられていますが、ともあれ、黄金に輝くこの像を頭上に戴くことで、謙信はまさに飯縄権現とひとつとなり、その神威を体現する存在であることを周囲に誇示したわけですね。
“マジカルな力”も兵法のひとつ
戦国時代の甲斐国武田氏の軍学書『甲陽軍鑑』には、「弓矢は皆魔法にて候」というくだりがあります。
この「弓矢」とは、「戦(合戦)」の比喩とされます。つまり合戦というものは人知を超えた魔法の力(予想もつかない偶然や不条理な要素)がはたらくものだというわけです。
いわば戦場のリアリズムを説いた一文なのですが、「ゆえに」としてこんな言葉がつづきます。「軍配を御用なければ勝負の儀胡乱に御座候」(軍配の振るいようを工夫しなければ勝負の行方はどうなるか分からないものだ)
ここでいう「軍配」とは、戦場で指揮者が用いる道具のことではなく、軍配者(軍師)が担う兵法(戦術)全般を意味しています。ただ兵法といっても、いわゆる軍事戦略や戦術のことだけではなく、敵を欺く奇策や調略などの裏工作のほか、占いや忍術などのマジカルな術まで、あらゆる手法を指していたようです。

