海を渡る遠距離介護
父親は肺がんだと診断されると、地元・四国の病院ではなく、真波さんが住む本州側の有名な病院で治療を受けたいと言い張った。医師から「地元の病院のほうがいい」と説得されたが、引かなかった。
真波さんは片道1時間半かけて父親を送迎し、多い時は1回6時間の治療を週4日連続、3週間おきに受けさせた。
この頃の母親はヘルパーの見守りがあれば1人で留守番することもできたが、父親が常に母親と一緒にいたがったため、母親も連れて治療に通っていた。
「血液検査で1時間、診察から抗がん剤をつくるのでさらに1時間待ちます。父の投与が始まると2時間以上。母と売店に行ったり、時には自宅で時間を潰したりすることもありましたが、大きい病院だったので母はいつもヘトヘトでした」
ところが父親の治療が始まって半年ほど経ったころ、母親に悪性リンパ腫が見つかる。母親の治療は四国側の病院でおこなうことに。父親は余命いくばくもなく、母親は認知症プラスがん。真波さんは途方にくれるしかなかった。
「一番大変な時は、1カ月のうち1~2週目に父の治療、3週目に母の治療、4週目から父の治療……というローテーションの時もありました。四国と本州を1日で2往復することもありました」
このような生活になると、もう週3で働くこともできない。真波さんが上司に辞意を伝えたところ、「落ち着いたらまたいっぱい働いて」と言ってくれた。
昭和の頑固親父のプライド
治療の日以外にも真波さんは実家に通わなければならなかった。父親がヘルパーを拒否するためだ。
父親は「知らない人を家に入れたくない」の一点張りで「子どもがいるのに、なぜ赤の他人に面倒を見てもらわなければいけないのか」という。自分の認知能力や判断能力が衰えていることも、認めようとはしなかった。
一番厄介だったのが「プライド」だ。高卒たたき上げで大手メーカーの重役まで務めた昭和の頑固親父。家長として自分が頂点にいた自負から、周りが自分ではなく娘の真波さんに連絡し判断を仰ぐことが気に入らない。真波さんの提案は全て却下し、関わった業者やスタッフを呼び出して叱りつけた。
「自分には判断能力があると思い込んでいる父は、トンチンカンな反応を繰り返し、まるで“裸の王様”です。それでも父が納得しなければ、家にヘルパーさんを入れることはできないのです。全く介護サービス導入が進みませんでした」
告知直後は冷静で葬儀や遺言の準備をしていた父親だったが、体調悪化とともに目に見えて壊れていった。
「がん告知から1カ月ほど経った頃から暴言暴力を浴びせてくるようになりました。『お前は奴隷なんだ! 黙っていうことを聞け!』『言うこと聞けないなら死ね!』などと言われ、車の運転中でもお構いなしでした。常識も理性も残っておらず、『高齢者虐待って何だろう』と理不尽に感じました。介護する側の尊厳は、一体誰が守ってくれるのでしょうか」
認知症の母親は「親に逆らわないの!」と真波さんをたしなめつつも、父親が暴力を振るうときは間に入って止めようとした。

