「僕でいいなら父親にしてください」。タイでの性別適合手術直後、妻が妊娠していることがわかった。遺伝子上の父親は妻が以前交際していたノーマル男性だ。血のつながりはなかったが、無条件で受け入れた。ただその後、体調が崩れ、生活保護を受給することに。さまざまな苦難に負けずに生きぬく家族3人をノンフィクションライターの旦木瑞穂さんが取材した――。(後編/全2回)
公園で、裸の一万円札を手渡し
写真=iStock.com/AH86
※写真はイメージです
前編のあらすじ】西日本在住の熊部悟朗さん(仮名・50代)は、物心ついたとき、すでに両親は離婚していた。スナックで働く母親に引き取られたが、母親1人で育てることができず、祖父母の家で育てられた。すでに3歳時に「性別違和」を感じていた熊部さんは小学校に上がると、男の子と遊ぶ方が楽しかった。小5の時に母親が再婚すると、母親と再婚相手と小3の娘と4人で暮らすことになった。初めは良かったが、母親はだんだん熊部さんや妹に暴力を振るったり、精神的に支配したりするようになった――。

子どもに無心を繰り返す親

短大を卒業した熊部悟朗さん(仮名・50代)は、一人暮らしを許された。「やっとDV母から離れられる」と思ったが、母親は金の無心をするようになった。

「家賃を滞納していて『明日までに30万円準備しないと出て行かないといけなくなる』とか、『給料日まで2、3万貸してくれん?』といった電話は毎月のようにありました。約束の期日に返ってこない、連絡もこちらからするまでないなんて毎度のことでした。弟をダシにされることも多かったので、僕は常にどこかから借金をしては母にそれを貸している状態でした」

そして熊部さん23歳の時。務める工場の職員から実家に「お宅のお嬢さんと同僚の○○さん(女性)がものすごく仲がよろしいのはご存じですか?」という匿名電話が入ったことで、問い詰められた熊部さんは両親に「性同一性障害」であることを打ち明けた。

「妹にはすでに20歳の頃には言ってあったし、母はとっくに疑っていたようで、驚きませんでした。継父はボーイッシュだと思っていたけれど、そこまでとは思っていなかったようで、少し混乱していました。弟には『あの子はあなたのことが大好きだから、ショックを受けるから』と母から口止めされていたのですが、妹が『弟だけ知らないのはおかしい』と、弟が23歳の時にアウティングしていました。弟は、特にショックも嫌悪感もなく、普通だったようです」

母親の傍若無人ぶりにうんざりしていた熊部さんは実家から距離を置いたが、金の無心は続いた。

「弟も悪さをすればもちろん叩かれていましたが、教育的範疇に収まるものでした。僕や妹がそれ以上の虐待を受け、金の無心をされていたことや、弟の生活や教育に必要なお金は僕たちだけでなく親戚中から借りまくっていたことは、弟は知りません。まっすぐ育ち、ちゃんとした職について、親にも優しく、結婚して子どもにも恵まれた弟は、知らなくていいことだとは思っています。きっともう僕にはできない親孝行を、弟がしてあげればいいと思っています」

そして35歳の時に人生の大きなターニングポイントを迎えた。派遣の仕事を始めた先で、のちに妻となる女性に出会ったのだ。

妻は僕との交際に抵抗感がなかった

妻は熊部さんより11歳若かった。2人は8年の交際期間を経て、熊部さん42歳、妻31歳で入籍しているが、そこに至るまでの道は平坦ではなかった。

「彼女はノーマルの人ですが、僕との交際への抵抗は、全くなかったそうです」

ただ、熊部さんの猛アプローチにより出会って半年後に交際を始めた2人だが、6年後、あえてお互いに距離を置き、考える期間を設けた。

2年ほどの間、妻はノーマルの男性と付き合い、熊部さんは性別適合手術を受ける準備をしていた。身体的に男性に近づける決断をしたのだ。

「長く同棲している間、いろんなことがありました。妻も、僕のような人間と結婚するのが本当に大丈夫か悩んだ時期もあったはずですし、出産の事も考えたに違いありません。だから話し合って、『しばらく好きに過ごしてみよう』となったのです。それでも妻は、『別れてきた。あなたの大事な瞬間に立ち会う』と戻ってきてくれました」

手術を受けるためにタイへ向かう日、妻は同行してくれた。