100年、100人、100億を目指す

4年間、仕入れ先の企業で修行をし、2010年に熊谷さんは将来の社長として、父の会社に入社した。以降、常務、専務を経て、社長就任は2018年、熊谷さんが35歳の時だった。

社長となって8年、熊谷さんは「100年企業、100人社員、100億売り上げ」というスローガンを掲げている。

今年で創業70年ゆえ、100年企業はすでに射程に入っている。50人前後で推移していた社員も最近、60人近くまで増えることとなった。ならば、現在24億強の売り上げだが、50億を目指すなど中途半端なことではなく、いっそ、100億を目指そうという壮大な構想だ。

現在、44歳。十分に、現実味のある目標ではないか。

苛烈極まる、骨肉の相続争い

会社を継ぐことへの拒否感は責任の重さ以上に、醜悪な争いに直面したことにあった。祖父の死後、父、庸一さんへの代替わりの際に、相続を巡って親族間で争いが生じ、家族が分裂してしまうという事態を、熊谷さんは高校生の身で目の当たりにした。

「それはもう、高校生でもわかるぐらいにめちゃくちゃ揉めました。事業に関わっていたのは父だけだったのですが、父には妹が2人いて、一番下の妹は結婚して子どもがおり、その叔母と配偶者である叔父が、私の祖母と一緒になって、父と対立したわけです」

熊谷社長
撮影=プレジデントオンライン編集部
石塚で起きた継承問題の実例について説明する熊谷社長

彼らの要求は、株式をもっと高い値で買い取れということだった。

「会社の株式が、相続財産の中で最も大きいウエイトを占めていました。とはいえ、中小企業の株式は市場で簡単に売れるものでもないのですが、金額としての評価額がついてしまうので、彼らは株式と現金の区別がつかなくなってしまったんです」

祖母とはもちろん祖父の妻であり、庸一さんにとっては実の母だ。祖父の存命中には誰一人予想もしなかった、骨肉の争いが繰り広げられることとなったのだ。

「父と母の、苦しそうな顔を見るのがつらかったですね。姉も妹も、同じだったと思います。私たちの前で直接、いがみあうことはなかったのですが、叔母から『あんたたちは、いいわね』と、ちくちく言われることはありました。とくに叔母の配偶者の方が、強く出ましたね。赤の他人ですし、株があるわけだからもっと主張したら、うちに金が入るだろうとヒートアップしたのです。祖母は娘に泣きつかれて、かわいそうだと思ったのかもしれません。非常に揉めて、今は完全に絶縁状態です。ご存命かも分かりませんし、祖母の死も私たちには知らされませんでした」