「善か悪か」で捉えられない問題
SNS上では、金券ショップでの青春18きっぷ販売について否定的な意見も見られるが、今回の取材を通じて感じたのは、これを「善か悪か」という二元論だけで捉えることには、あまり意味がないということだ。
もちろん、金券ショップはJRが設定した販売方法とは異なる形で青春18きっぷを流通させていた。そのことをJRがどう受け止めるかは、販売元であるJRの判断に委ねられる。
一方で、金券ショップは、余ってしまったきっぷを買い取り、それを「1回だけ使いたい」「2回だけ使いたい」という人に再び流通させる役割も果たしていた。少なくとも筆者にとっては、中学生のころ、限られた小遣いで鉄道旅行を楽しむための身近な存在だった。
「本当の民営化」はできているのか
1996年の制度変更が金券ショップ対策だったのかについて、JRは明確に否定している。当時の新聞記事には金券ショップでの流通と制度変更を結びつけるような記述も残っているが、「転売対策が理由だった」と断定できるだけの材料はない。むしろ、複数人利用での同一行程の徹底や、発券業務の省力化など、別の事情があったと考えることが妥当だろう。
改悪の理由はどうであれ、2年で販売数が62万枚から24万枚に激減したことは事実である。「これが一般企業であれば、当該商品のブランドマネージャーは、相応の処分を受けなくてはいけない程の失態だ」という声も耳にした。また、巷では改悪は廃止への布石であるという懸念も根強い。
前述した1996年の毎日新聞の記事では「利用者本位に考えるのが本当の民営化ではないのですか。JRさん」と締めくくられていた。民営化から40年余りが経過した2026年においても、青春18きっぷだけではなく、みどりの窓口の大量閉鎖や京葉線の通勤快速の廃止に代表されるようなサービス改悪が目立つ点は、いまだJRグループが利用者本位ではない経営体質であることの象徴ではないのだろうか。


