猪木に告訴され零下12度の鉱山へ
さらに翌年1月8日、新間は頭から冷水を浴びせられる。猪木が豊登と新間父子を業務上背任横領容疑で告訴したのだ。父親まで巻き込んで金策に奔走した自分が、なぜ横領で告訴されなければならないのか。新間は猪木を虚偽告訴等罪で告訴する。
このトラブルは、新間父子が不起訴になったことで猪木が謝罪、落着するのだが、新間は父親に勘当されてしまう。責任を取る証として妻を残し、栃木県日光・小来川の山深い銅山で働く。
町まで歩いて8キロメートル。小屋に寝泊まりし、真冬は零下12度という極寒の地だった。勘当が解けるまで4年間、歯を食いしばって働き、自宅にもどるとパン店を開業する。黙々とパンをスライスし、薄利の仕事に精を出す。
「これも人生」――。新間の諦観だった。
一方、日プロに復帰はしたものの、猪木はジャイアント馬場との確執から追放されようとしていた。猪木は新日本プロレスの旗揚げを決意して新間に声をかける。
「立ち上げるんだ。新日本プロレスを手伝ってくれないか」
猪木は屈託なく、そう言った。
猪木という“素材”に全てを懸けた
猪木は、新間親子を業務上背任横領で告訴した男だ。
「ふざけるな!」
私たちであれば怒りに身体が震えるだろう。だが新間は感激をもって新日本プロレスに馳せ参じるのだ。これから先、新間は再三にわたって裏切られながらも、猪木を守り立てるため駆け回ることになる。新間は「人間・猪木寛至」を憎みながらも、「プロレスラー・アントニオ猪木」に心酔していたのだ。
猪木の所業を告発した自著『アントニオ猪木の伏魔殿』(徳間書店)においてさえ、《人間・猪木寛至とは対照的に、プロレスラー・猪木は史上最高のレスラーだった。その私の信念は、今でも揺るがない》と書く。
新間は「プロレスラー・アントニオ猪木」という“素材”に惚れ、この素材を用いて自分が思い描くプロレスワールドを実現しようとしたのだ。新間は「寝業師」でありながら本質はロマンチストだった。
一方、移民としてブラジルで辛酸を舐めた猪木はリアリストだ。リアリストは過去を引きずらない。新間父子に対する告訴という行為は過去のことであって、「今」は「今」なのだ。だから平気で新日本プロレスの立ち上げに協力を要請できる。
リアリストとロマンチストは目的地を異にしつつ、二人三脚で走りはじめる。
