初期なら「高度な知的作業」も可能
都会に住んでいる患者さんだと、これまでできていたことを、認知症だからとやめさせられるケースがよくあります。これがよくない。田舎のほうだと、多少ボケていたとしても、稲刈りができている間はやらせるし、熊撃ちの名手には、猟銃の仕事をしてもらうでしょう。老人をこき使うと思いますか? それでも、そのほうが、脳にとっても身体にとっても、圧倒的にいいのです。
認知症とは不思議な病気で「5分前のこと」は忘れてしまうのに、いま、相手がしている話の内容を理解することはできます。そのため、認知症が進んでいるかたでも、正常な会話ができることも、往々にしてあるのです。
初期の認知症なら、ほぼ全員が元のレベルの会話が可能です。これは、記憶障害があっても、知能自体は、保たれているケースが多いからです。もっというと、もともと知能が高いかたの場合は、認知症になっても、初期であれば、かなり高度な知的作業もできることが分かっています。それこそ、大統領でもできるくらいです。
超高齢社会を華麗に生き抜くために
認知症は、進行性の病気なので、段階というものがあります。一口に「認知症です。もう、何も分からないです」などと断じてしまうのは、とても乱暴な話だと、私は思っています。
5分前のことを覚えていなくても、コミュニケーションはしっかりととれる。
あるいは、道に迷いまくっているのに『月刊文藝春秋』を読んで、理路整然と意見を言ったりする。世界経済をきちんと把握している、そんな賢い認知症のかたはたくさんいます。
まだまだ残存機能はたくさん残されているのに、「認知症です」の一言で、それらをすべて奪われる、そんなことはあってはいけないことです。本来、認知症はスペクトラム(境界線、範囲が明確ではない状態)障害と考えられるもので、軽度から重度まで、幅があるものです。「認知症になったらもう終わりだ」などと、絶対に決めつけて欲しくありません。
誰に何をいわれようが「まだまだできることはあるわい」と、残存能力をしぶとくキープして行くのです。そして、すでに突入した超高齢社会を華麗に生き抜いてまいりましょう。もちろん、私も後に続きます。

