ベルギーの12年にわたる暗黒期
現在、ベルギー代表はサッカー大国のひとつと言っていいだろう。2015年11月に初めてFIFAランキングで1位になり、2018年ロシアW杯では同国史上最高成績となる3位になった。
しかし、いまでは優勝候補に挙げられる国になったベルギーにも、12年にわたる暗黒期があった。2002年を最後に5大会連続でビッグトーナメント出場を逃し続けていたのである。
いったいベルギーで何が起こっていたのか? 結論から言えば、地政学的な衝突が団結を妨げていた。いわゆる「フラマン・ワロン問題」である。
ベルギーには、主に3つのエリアがある。オランダ語を話す北部(フラマン人)、フランス語を話す南部(ワロン人)、その混合のブリュッセル地域の3つだ。それぞれが自治権を持ち、まるで別の国のように地域への誇りが強い。特に南北は心理的距離が遠く、いまも独立の声が上がっている。
当然、ベルギーサッカー協会も南北で対立していた。たとえばオランダとベルギーで共催したEURO2000の収益を使い、2005年にナショナルトレーニングセンター建設計画が持ち上がった際には、どのエリアに建設するかで南北のサッカー協会が衝突。ことあるたびに決定に時間がかかって遅延を繰り返し、完成したのは2016年だった。
レジェンドの代表監督就任が分岐点
だが、ひとりのレジェンドの代表監督就任が分岐点になる。元ベルギー代表のマルク・ビルモッツだ。現役時代はドイツのシャルケなどでプレーし、2002年W杯ではキャプテンとしてベルギーのベスト16進出に貢献した。ちなみにビルモッツ自身はフランス語圏で生まれたワロン人だが、妻はオランダ語圏出身のフラマン人。南北両方の感覚がわかる人物だ。
ビルモッツが代表監督としてまず着手したのが、協会内の大リストラだった。出身地域に捉われず、能力だけで評価したのである。
もちろん代表の飛躍は、監督ひとりでは成し遂げられない。2014年W杯に向けてタレントが噴き出すように現れた背景には、10年以上におよぶ国内クラブの育成投資があった。
先陣を切ったのは、フランス語圏のスタンダール・リエージュだった。1998年、南部の名門は経営危機に陥ったが、そのピンチが改革のチャンスとなる。マルセイユ(*オリンピック マルセイユ。フランスのマルセイユを本拠とするプロサッカークラブ)の大株主ロバート・ルイス=ドレフュスらが救済に乗り出し、育成アカデミーが設立された。エリート教育でW杯優勝を成し遂げたフランスのエッセンスが注入されたのである。

