若き起業家→上場企業の経営者へ
株式上場はmixiの利用者層をさらに広げ、中高年も利用する国民的SNSへと発展していった。「mixiやってる?」はビジネスの場でも聞かれるようになる。
利用者数は増加の一途をたどり、2008年には1400万人を超えた。売上高も2007年3月期に前年比177%増の約52億円、翌2008年3月期には100億円を突破した。2012年に約2700万人のピークに達するまで登録者数は増え、mixiは日本最大級のインターネットサービスへ成長していった。
当然のように「打倒mixi」を掲げる競合サービスが次々と現れた。ヤフーやグーグルがSNS参入を打ち出し、海外で爆発的な人気があった米国発のMySpaceが日本に上陸した。
しかし、招待制による強固な人間関係のネットワーク、iモード公式サイト化をはじめとするモバイル戦略が功を奏して、mixiはこれらの“黒船”を退けた。
「2000年代は、次々とライバルが参入するといった単発で寄せる波はなんとか乗り越えられていました」
急成長に伴って組織も拡大した。2008年には従業員数が200人を超え、笠原さんの立場は若き起業家から上場企業をマネジメントする経営者へと変化していった。
「マネジメントはおもしろいと思う一方、ビジネスの最前線で市場と対峙し、どんなサービスがウケるんだろうと考えることへの興味は尽きませんでした。20代の頃から、新規事業を立ち上げる醍醐味は何度も経験しましたから」
「0→1というより、10まで育てたい」
笠原さんは1997年、東京大学経済学部在学中に21歳でIT系求人情報サイト「Find Job!」を立ち上げた。1999年には、ミクシィの前身となるイー・マーキュリーを設立。オークションサービス「イーハンマー」、ニュースリリース配信サービス「@Press」などでゼロから事業を立ち上げる感覚を身につけてきた。
仕事へのこだわりは、育った家庭環境の影響もあるようだ。笠原さんの父は、情報理論や暗号理論を専門とする工学博士で京都工芸繊維大学と大阪学院大学の名誉教授。母はピアニストで、京都市立芸術大学で教えていた。
「両親はどちらも仕事好きのタイプで、仕事とプライベートの境はあまりない人たちでした。食卓でも父は仕事のことを話していたし、母も昼夜を問わずピアノを弾いていました。いまだに変わりません。何ごともとことん突き詰めるところは、両親の背中を見て育ったせいかもしれません」
起業家には2つのタイプがある。0→1の発想に優れていることは共通だが、一方は3ぐらいまで育てると誰かにバトンタッチして次のビジネスに着手するタイプ。もう一方は、手塩にかけてじっくり事業を育てるタイプ。笠原さんはどうやら後者のようだ。
「事業アイデアが山ほど出てくるタイプではないので、自分自身が納得できるところまで育つのを見届けたいという思いはあります。0→1というより、10ぐらいまで育って盤石な基盤ができたと確信できるまで育てたいですね」

