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恥と後悔の先に見つけた「頼まれ仕事」のありがたみ

あなたは今何歳だろうか。20歳、30歳、40歳、50歳といった「大人の節目」を振り返り、そのときにどんなことを考えて決断したのかを覚えているだろうか。今年で50歳になる筆者の場合は、30歳前後で最も重大かつ愚かな判断をしたと断言できる。すでにフリーライターだったが、いわゆる頼まれ仕事で便利に使われることに焦りを覚え、「自分の名前と文体で書ける仕事しかやらない」と宣言したのだ。今まで世話になった出版社などに背を向けた。恩知らずで無謀な行為だけど、道を開くにはそれしかないと思い込んでいた。

特に書きたいテーマもないまま時間だけを持て余すようになり、わずかな貯金を食いつぶした。出口の見えない焦燥と退屈の日々。借金をして結婚生活も壊れた。かつての仕事仲間に頭を下げて、再び仕事をもらって生活を立て直すまでに3年もかかった。恥と後悔にまみれた期間だった。でも、己を知るには必要だったとも感じている。今では「頼まれ仕事」もありがたく受注し、なんとか自分らしく書けるようにもなった。本連載もその一つである。 

今回は、ヒダクマという不思議な通称の森林活用会社(正式名称も「飛騨の森でクマは踊る」)で働く門井慈子(かどい・ちかこ)さんに登場してもらう。東京都心で空間作りを担う成長企業で活躍していた門井さんがヒダクマに転職したのは今から6年前。ちょうど30歳のときだった。

平野は嫌いだった。関東平野育ちの30歳が人口2万人の飛騨に惹かれた理由

飛騨といえば、奈良時代から木工のメッカとして知られているが、ヒダクマは「森は木材ではない」と公言。建材として使われにくい広葉樹に着目し、森林資源の多様な価値を探り続けている。東京のデザイン会社・ロフトワークと飛騨市、トビムシ(ヒダクマの母体である森林資源活用会社)が出資しているとはいえ、社員数は15人ほど。失礼ながら、かなりマニアックなベンチャー企業といえる。

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ヒダクマの第二オフィスである「森の端(もりのは)オフィス」にて。建築利用には不向きとされる広葉樹をあえて使ったトラス構造で建てられている。

ヒダクマの2つのオフィスがあるのはいずれも飛騨市内。2万人ほどの人口は減り続けていて、高齢化率は40%を超える。茨城県育ちの門井さんはまったく縁がない土地であり、東京藝術大学を卒業後に前職で大企業顧客のポップアップストアなどをデザインしていた経歴がさらに磨かれるとも思えない。

「私は起伏がある地形が好きなんです。ずっと先まで同じ風景が続いている関東平野は嫌いでした(笑)。飛騨ではどこにいても近くに山があります。(飛騨市内でもへき地にある)神岡町で古民家を買ったので、自分と夫で壁を塗り直して住む予定です」

のんびりした口調で語る門井さん。ヒダクマでは経営層のすぐ下に位置する執行役に指名され、家具や空間などのモノづくりを担うメンバー5人を率いているが、気負いや気取りはまったく感じられない。社交的な芸術家もしくはのん気な学生と話しているような感覚に陥る。リアルに学生だった15年ほど前はどのように過ごしていたのだろうか。

労働を客観視した大学院時代から、広告の最前線へ。「できるまでやる」終電帰りの日々

「私が在籍していたのは美術学部の先端芸術表現科です。(茨城県の)取手キャンパスにあるので、実家から通学できました。大学院で主に作っていたのはインスタレーションです。大人になると一斉に参与する労働という反復行動に興味があって、労働をテーマにして立体物を作ってはいろいろ調べて考えていました。作りながら考え、考えるために作る。そんな日々でした」

空間全体を一つの作品として表現するのがインスタレーションだ。空間デザインという点では現在にも通じているが、芸術家肌の門井さんには助手として藝大に残る道もあった。しかし、門井さんは民間企業に就職する決断をする。

「私の実家は裕福ではなく、お金がないからできないこともありました。一度は自分で稼いだお金の上に立ち、経済的な不安がない状態で先のことを考えてみたいと思ったんです。外に出ていろんな人と関わりたいという気持ちもありました」

2015年に新卒で就職したのは、老舗の有名企業があるディスプレー業界の中では新進気鋭の会社だった。当時でも300人ほどの従業員数も売上高も伸びていて、デザイナーとして入社した門井さんは商業施設やイベントブースなどを担当。都内で借りたマンションまで終電帰りが続くこともあった。

「商品との出合いに体験価値が重視されるようになり、企業の広告活動がテレビなどの媒体からポップアップに移っていく過渡期でした。私が働いていた会社は発展途上でチャレンジできる社風です。仕事はちゃんとできていたというより、できるまでやっていたので残業ばかりだったのだと思います」

顧客は日本経済をけん引するような「旬の企業」ばかり。優秀な人たちに囲まれ、先鋭的な空間デザインを作る仕事にアドレナリンが出まくっていたと門井さんは振り返る。

「でも、お客さんとのコミュニケーションはお金まわりのことも含めてすべて営業担当者がやってくれていました。私はワガママばかり言っていたので、今考えるとかなり恥ずかしいです」

怖いもの知らずで突っ走っていた門井さん。しかし、5年後に挫折が訪れる。

安全と機能だけのモノは作りたくない。画面を開くだけで涙が止まらなくなったあの頃

それは交通インフラに関わる大きなプロジェクトだった。門井さんの勤務先にとっては新しい領域で、しかも仕事の性質上、「安心・安全」が絶対条件とされる。イベントスペースの床に使う素材にまで、「なぜそれを使うのか」と説明を求められ、門井さんはプレッシャーに耐えきれなくなっていく。

「安全性と機能が確保されているだけのモノは作りたくありません。でも、自分が何をカッコいいと思っているのかもわからなくなっていました」

ノートパソコンの画面を開くだけで涙が出てしまうようになった門井さん。うつ病の前兆である。2カ月ほど会社を休み、「自分は何を作りたいのか」を改めて考えた。

「思い出したのは実家です。建築家の父が設計した家で、北海道出身の母のつながりでシナ(北海道産が有名な国産木材)合板などを使って建てました。家具も木製です。天井も含めて家の中に凹凸があって、家の天地をひっくり返して使うなど、いろんな妄想ができて見飽きません」

門井さんは平たんで無機質なものが苦手で、不ぞろいで使いにくくても「生きている」ものが好きな自分に気づく。そして、木という「元々は生きていたマテリアル」に興味を抱く。

「消費を促すようなモノづくりではなく、そこで過ごす人をずっと見ているような、次世代も育てていけるようなものに関わりたいなという気持ちが強くなりました」

広葉樹林はブルーオーシャン。「飛騨に行けばいいじゃん」と背中を押してくれた新婚の夫

森や木に関わる仕事といっても、経験のない門井さんは「自分が何をできるのか」がわからなかった。自分なりに調べた末にヒダクマのホームページに行きつく。

「(広葉樹林などの)すでにあるものをどう残すか、より良くするにはどうすればいいのかを考えている会社です。いいなと思って転職エージェントにも相談しましたが、『ヒダクマみたいな会社に行きたいんです』と話したら、『それならヒダクマに応募してみたら?』と返されて相談は終了しました(笑)」

いわゆる地方創生系の会社は同じ業界での経験者を採用していることが多い。しかし、未経験者の門井さんにも利点がある。都会出身の部外者の目線で地方や森林を新鮮に見られることだ。ヒダクマが取り組んでいる飛騨の広葉樹林は「ブルーオーシャン」にしか見えなかった、と門井さんは振り返る。

「今までほとんど誰も手をつけていない分野だからです。やってみてできなかったではなく、やっていない状態。それに木工の飛騨という強いブランドがある。面白そう、絶対にどうにかなる! と思いました」

当時、門井さんは結婚目前だった。相手は都内で働く会社員。ヒダクマに就職したらフルリモートというわけにはいかない。新婚早々で離ればなれの生活になってもいいのか。結婚相手からは温かい答えが返ってきた。

「1人だからできることよりも、2人だからできることのほうが多いはず。助け合えるからね。飛騨に行けばいいじゃん」

現在、門井さんと夫は東京都内でも暮らしている。そこも起伏が多い⼟地なので好きと⾨井さんは笑うが、一緒に過ごせるのは月に半分ほど。夫も四半期に一度ぐらいは飛騨に来てくれるらしい。

「私が月に2往復ぐらいしています。飛騨市から東京までは途中で新幹線を使って片道4時間ぐらい。ゆっくり仕事ができるのでむしろ快適な時間です」

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森の端オフィスが隣接する広葉樹専門の貯木場にて。起伏が多い地形が好きな門井さんは「⽊材も雑多なほうが愛着を持てる」と言う

施主に寄り添い、建築家や大工と協業し、設計と施工の管理をする

飛騨に移り住んでからの門井さんは再び生き生きと働き始めた。施主に寄り添い、建築家や大工などと協業し、設計と施工の管理をするのが主な仕事だ。

「自分で図面を引くこともあります。飛騨の森を活用するのがヒダクマのミッションなので、材料は私たちで発注して準備することがほとんどです」

例えば、飛騨市に隣接する高山市の温泉街にある1haほどの森林活用。森主である施主から「太陽光パネルなどの開発をしたりせず、温泉客が日中楽しく過ごせる場所にできないか」という依頼を受けた。多様な専門家と一緒に毎月のように森に入って現地調査とワークショップを重ね、森にいる時間を豊かにするための各種道具を収納・貸し出しする「道具番屋」の建築に至った。計画から完成まで2年の歳月をかけている。

「この森の木々を活用することも検討しましたが、長い間遊休林だったので、建材用にたくさんの木を切り出すと森が傷んでしまいます。手入れをして森を適切に育てることを優先し、建材の広葉樹は隣の飛騨市の森から持ってくることにしました」

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高山市の福地温泉郷にある「来福の森」と道具番屋。ハンモックでお昼寝からソリ遊びまで、春夏秋冬でさまざまな楽しみ方ができる。(写真:中村絵、写真提供:ヒダクマ)

まとめるのは不得意なので、みんなに助けてもらっています

広葉樹や間伐材を使った空間作りに関して、誰に相談したらいいのかわからない段階でも「窓口」になり、川上から川下までの全体像をつかむことができるヒダクマ。森林も木材も時間軸が長いので、リピートしてくれる顧客も多く、人間的なつながりを大事にしたい門井さんはうれしい。前の勤務先も門井さんを通じてヒダクマの顧客になってくれた。

「社員1人で3~4件ぐらいのプロジェクトを同時並行で進めていますが、パンクしそうになっていたら誰かが入って助けるので大丈夫です。私はみんなの仕事に関わって、お施主さんが本当にかなえたいことを聞き出せているのか、家具一つ作るにしても機能だけではなく、ヒダクマらしさを出せているのかどうかを話し合っています。私はまとめ役なのに、連想ゲームみたいに話を広げてしまうんです。まとめるのは不得意なまとめ役なので、みんなに助けてもらっています」

和気あいあいと仕事したいけれど、コストやスケジュールを含めた数字管理には厳しいほうだと自認している門井さん。ヒダクマに関わるみんなが「ゴハンを食べていく」ために必要なことだと気を引き締めている。「お金のことは考えなくていいワガママなデザイナー」だった若い頃とは違うのだ。

空間作りは手段に過ぎない。自分がいい顔でいられる職場を探すというロマン

父親が建築家で、東京藝術大学の卒業生である門井さん。周囲には組織人よりも自営業者が多い環境で、「いつ独立するの?」と聞かれることも多い。しかし、本人は独立や起業は考えていない。

「ヒダクマを通して自分の考えや行動を実践できていると思うからです。理想通りにはなりませんが、ヒダクマは森のポンプみたいな役割を担っていると感じています。(人の営みとのつながりという血液を送る量と速度が)速すぎても遅すぎても森は傷んでしまう。どうすればいいのかをみんなで探り探りやっているからこそ、私たちは物事を大きく広く考えられます。楽しいことばかりじゃないけれど、私は幸せです」

本当は何を作りたいのかを自分に問うて30歳で前職を辞めた門井さん。広葉樹林の可能性に心惹かれてヒダクマに転じたが、今では「空間作りはあくまで手段」だと感じている。

「私は『森に関わる人』を増やしたいんです。邪魔者扱いされてきたような森林と人間の関係性を一緒に模索できる人はいいヤツに決まっているじゃないですか(笑)。私が独立するよりもヒダクマの一員として会社を育てていくほうが、この目標実現のスピードを加速させられると思っています」

ヒダクマで働き続けることが、門井さんのモノづくりキャリアを輝かせるのかどうかは、筆者にはわからない。しかし、理解のある伴侶と志を共にできる同僚に恵まれ、好きな地形の中で暮らせている門井さんも「いいヤツ」なのは確かだ。自分がいい顔でいられるような職場と仲間を探すことも転職ロマンの一つといえるかもしれない。

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