これまで、本能寺の変後に起きた山崎の合戦では、秀吉が明智光秀を破ったとされてきた。しかし、最新研究で秀吉はその戦いに間に合わなかったとされている。歴史評論家の香原斗志さんは「代わりに光秀軍と戦い、勝利したのは荒木村重の元重臣だった」という――。

織田信長を追い詰めた2つの謀反

荒木村重(トータス松本)が織田信長(小栗旬)に反旗をひるがえした。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第23回「さらば半兵衛」(6月14日放送)。

ドラマでは、明智光秀(要潤)が、居城の有岡城(兵庫県伊丹市)に説得に行ったが、村重は一度裏切った自分を信長が許すとは思えず、拒絶した。そこで、今度は黒田(小寺)官兵衛(倉悠貴)が乗り込んだが、有岡城に幽閉されてしまう。

当時の記録では、どんな状況だったのだろうか。村重の謀反が信長に伝えられたのは、天正6年(1578)10月21日だが、その半年ほど前の3月29日には、別所長治が裏切って三木城(兵庫県三木市)に籠城していた。実際、信長にとってかなりのショックだったと思われ、『信長公記』にも戸惑った様子が記されている。信長の命令で播磨平定の任に当たっていた羽柴秀吉にとっても、さすがにダブルの謀反は厳しく、かなり困難な局面を迎えることになった。

しかも、ともに単独で謀反を起こしたわけではなかった。それぞれが大坂本願寺および毛利氏、毛利氏の庇護下にいた足利義昭らによる反信長包囲網に参加する格好だったので、かなり手ごわかった。ことに村重は謀反を起こして以降、信長が長期にわたって対戦している本願寺へ、毛利水軍を介して兵糧や物資を運び込むのを助ける役割を果たした。信長には手痛かった。

そのうえ村重の有岡城は、簡単に落とすことができないきわめて堅固な城だったのである。だが、信長方は、おそらく当初に想像したよりは簡単に、有岡城を攻略できた。その背景には、ある武将の裏切りがあった。

有岡城 堀
有岡城 堀(写真=Saigen Jiro/CC-Zero/Wikimedia Commons