創業はたった一人、自宅の一室で
万が一、寝たきりになったとしたら、本人も家族もそこに、先に進める“何か”を見出せるものだろうか。半信半疑で、品川区五反田のビルの一角にある「フレアス」本社を訪ねた。47都道府県で「訪問鍼灸マッサージ」を展開、寝たきりの高齢者に寄り添う“訪問マッサージ”を事業の柱に据えている。
迎えてくれた社長の澤登拓さんは57歳、スラリとした長身で、立ち姿はバレーボール選手のよう。甘いマスクに穏やかな笑顔を称え、あたたかな包容力を感じさせる。
創業は2000年、澤登さんが1人で、山梨県南巨摩郡の自宅の一室を拠点に、訪問マッサージ事業をスタートしたのが全ての始まりだった。
不遇だった10代
澤登さんがここに至る“種”は、不遇だった10代に撒かれていたのかもしれない。
小学校高学年で十二指腸潰瘍になり、胃を部分切除したことで、虚弱で体調不良に苦しむことになる。“荒れる”中学ではひ弱な少年はいじめの対象となり、高校では周囲に心を閉ざし、不登校に。そんな教え子を見かねた教員の働きかけで高校を卒業、大学進学も叶い、中国語を専攻した。
転機は19歳、大学のカリキュラムで中国での生活を経験したことによる。初めて生きることが楽しいと思え、大学を休学して語学留学に踏み切った。せっかく北京にいるのだから漢方薬に頼ってみようと治療を受けたところ、体調が驚くほど好転し、気功の効果も相まって念願の健康をようやく手にしたのだ。ここでようやく、不遇を嘆きマイナス思考だった青年は、前向きに生きる喜びを知ったのだ。澤登さんは、はっきりと思った。
「日本にはきっと、自分のように困った人がいっぱいいる。僕がこうして中国で出会えたものを、日本に持って帰ろう」
大学で漢方を学び、22歳で帰国した。日本で活動するには日本の国家資格が必要だったため、東洋医学に近い鍼灸マッサージを学ぼうと専門学校に入学、あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師の国家資格を取得した。
卒業後に就職したのは、町の接骨院。朝から晩まで手が腫れるほどマッサージをしても、給料は月に10万円。「見て覚えろ」という徒弟制度の下、技術指導もなく、勤務初日に鍼を打つよう命じられたが、緊張のあまり、鍼を抜くのを忘れてしまうようなありさまだった。

