今上天皇の静かな「怒り」の原因
「天皇がお怒りになった」
6月11日、天皇はオランダとベルギーへの公式訪問を前に記者会見に臨んだ。その際、国会で行われている皇族数確保の問題について記者から問われ、そうした議論が「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と述べた。ここに、天皇の「怒り」が含まれるのではないかと各方面から指摘されている。
今進行中の議論に、天皇が自らの考えを表明するのは異例のことである。
わざわざ「国民の理解が得られるもの」と求めたことは、天皇の認識として、議論はその方向にむかっていないということになる。間接的な形ではあるが、国会での議論に異議を申し立てているのである。
静かな、怒りである。
その原因は国民の側で推測するしかない。だが、皇室典範の改正をめざす人間たちが、「男系男子による継承」という血統のみを重視し、天皇や皇族の在り方や行動についてまったく関心を持っていないことが、天皇に問題視されているはずだ。
その証拠に、この記者会見において、天皇は皇室外交の意義を強調した。それもとくに、訪問先となるオランダとの戦後における関係が複雑だからである。それを今日のような友好的なものにする上で、皇室の果たした役割は相当に重要である。
日本とオランダの悲喜こもごもの国交
オランダに到着した天皇皇后は、王室の別邸であるヘット・アウデ・ロー城に滞在し、そこで、ウィレム・アレキサンダー国王夫妻とともにサッカーのFIFAワールドカップ、日本対オランダ戦をテレビ観戦した。
その際に、どちらもそれぞれの国を象徴するタオルを首にかけ、4人で写真におさまったものが公開されたが、アレキサンダー国王は天皇との自撮り写真まで王室の公式インスタグラムに投稿している。
これで、両国の関係がいかに良好なものであるかが強調されたものの、そこに至るまでの過程は決して平坦なものではなかった。
というのも、第2次世界大戦において、日本軍は、オランダ領東インド(現在のインドネシアにあたる地域)に侵攻し、そこを占領したからである。しかも、日本軍はオランダ人を強制収容所に収容し、その数は軍人と民間人を合わせ約13万人におよび、多くの死者も出た。
ワールドカップを仲良く観戦している光景からは想像もできないが、日本はオランダの人々を深く傷つけたわけで、天皇はそのことに記者会見でも、オランダでの17日(日本時間18日)の晩餐会でも言及した。
そうした過去があったため、1971年に昭和天皇がオランダに立ち寄った際には、日の丸が焼かれるなどの抗議活動まであったのだ。そこから物語がはじまる。

