信長に勝てば新たな知行も
起請文にあるとおり、本願寺には村重の知行に関して決定権はなかった。しかし、村重の摂津支配を異議なしとし、望みがあれば新たな知行について、義昭・輝元に口添えしようと申し出たのである。
ただし、百姓が居つく(逃散しない、あるいは織田方に与さない)のは村重の力量次第であって、本願寺が関知することはないというのである。この場合は、すでに摂津支配が不安定になっていたというよりも、村重の離反により百姓に動揺が生じる可能性を示唆したものと推測される。牢人の問題に関しては、本願寺と結んで村重を脅かすというよりも、織田方に加担する牢人を許さないということと考えられる。
つまり、この起請文の意義としては、村重の摂津支配が本願寺に認められたこと、そして信長に勝利した暁には、本願寺から義昭らに摂津国の当知行に加え、新たな知行の口添えをしてもらえる点にあったと考えられる。村重の意向としては、とりあえず当知行という現状維持の保証が絶対条件だった。
覚悟の起請文と人質
起請文を捧げられた村重は、同年11月に同盟の証として、毛利方と本願寺に人質を差し出した。特に、本願寺に対しては、村重・村次父子の血判起請文に加え、村重の娘も人質として差し出した。
また、村重家臣の河原林氏の起請文も捧げられ、その子も人質として送られた。村重は義昭にも起請文を提出したのだから、相当な覚悟をもって、義昭ら反信長勢力に身を投じたのである。
村重の裏切りにより、信長はたちまち窮地に陥った。村重だけではなく、すでに三木城主の別所長治、御着城主の小寺政職ら播磨国内の有力な諸将も織田方から毛利方に寝返っていたからである。



