1941年生まれ。20以上もの職を転々とした後、ラーメンに出合い、1973年に中華料理店「来々軒」を開く。その後、業態を変えつつ成長を遂げ、2002年から始めた「日高屋」を430店(他業態店を入れると計479店)展開させる企業へと成長させた。著書に『10人中6人に美味しいといわれたい』(日本実業出版社)がある。
480店舗展開の裏に150店舗の閉店あり
「石の上にも3カ月」が、私のモットーです。現在およそ480店をチェーン展開していますが、これまでに閉めた店も150近くあります。道のりは、挑戦と失敗の繰り返しでした。
失敗は貴重ですよ。次のチャンスを連れてくるからです。失敗を認めるには勇気が要りますが、早めに見直すことが大切です。
私はチェーン展開していた主力業態の屋号を、二度にわたって変更しました。特に、60店舗まで拡大した「ラーメン館」をやめて現在の「熱烈中華食堂 日高屋」に替えたのは、最大の経営判断でした。
もともと、1973(昭和48)年に創業した「来々軒」(後に「来来軒」に変更)という中華料理店を、チェーン展開していました。ラーメンもあれば一品料理もあり、居酒屋としても使える店です。メニュー数は70から80と多かったのですが、調理のマニュアルがありませんでした。すると17から18軒まで増えた頃、「店によって、ラーメンや餃子の味が違う」といったクレームが相次ぐようになりました。中途採用した料理人たちが、それぞれのやり方で作っていたからです。
このままでは行き詰まると感じていた頃、「新横浜ラーメン博物館」がオープンしました。現地へ行かずに、日本各地の名物ラーメンを食べ歩けるアミューズメントパークで、たちまち大人気になりました。私はこれにヒントを得て、全国の10種類の味を楽しめるラーメン専門店「ラーメン館」をオープンしました。94年のことです。マニュアルも簡単なので、作り手による味の差が生まれません。ラーメン館は人気を得て、売り上げが伸びました。
ところが50店舗ほど展開した頃、新たな問題が発生しました。実は、北海道の味噌ラーメンも九州の豚骨ラーメンも、同じ寸胴で作った同じスープを使っていました。所詮は偽物だとお客さんが気づいて、売り上げが落ちてきたのです。
これじゃダメだと思って腹を据え、来来軒とラーメン館の中間を狙ったのが、現在の日高屋です。ようやく浸透してきたラーメン館に見切りをつけて新しい看板に掛け替えるのは、大きな決断でした。しかも、99年9月に株式公開を果たしてから、3年しか経っていなかったのです。
屋号はそのままで中身だけリニューアルする方法もあるでしょうが、ラーメン館という名前はラーメン専門のイメージが強すぎるので、思い切って変更すると決めました。2002年6月、日高屋の1号店である新宿東口店をオープン。この年12月までに業態転換を一気に進め、翌年にはすべての店を切り替えました。
こだわったのは、それまで480円で出していたラーメンを、390円に値下げしたことです。当時、ハンバーガーと牛丼の値引き合戦が起こっていました。マクドナルドは平日限定で62円のハンバーガーを売り、吉野家(※「吉」は土の下に口)は牛丼の並を280円で出していたからです。役員全員に反対されましたが、わが社は重要案件で多数決を行いません。凛として突っぱねて値下げに踏み切り、少し赤字は出したものの、日高屋のラーメンは牛丼とハンバーガーのローテーションに割って入ることに成功しました。お客さんが来店したいと思う値段こそ、適正価格なのです。
日高屋に業態転換すると、アルコールも売れるようになりました。今では日高屋の売り上げのうち、アルコールの比率は約15%です。普通のラーメン屋さんはおおよそ3%ですから、大きな利益に繋がっています。
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