医者の言いなりをやめてカップ麺を食べ続けた
2024年2月16日、膵臓がんで亡くなった夫・叶井俊太郎は、がんと告知されてから息を引き取るまでの1年9カ月、手術や放射線、抗がん剤などの「標準治療」と呼ばれる治療法を、彼の意思で一切受けませんでした。夫は亡くなる2カ月前まで出社して仕事を続け、ぎりぎりまで歩き回っていて、頭がしゃんとしていました。血液検査の結果も、2月に入るまでは悪くありませんでした。亡くなる10日ほど前、東京に雪がざんざんと降りしきる中、自転車で20分かけて自宅から東京医療センターに行ったことを覚えています。亡くなる前日まで自力でお風呂に入り、ファミチキを食べ、その後体調が急変し、自宅で私たち家族に見守られながら、息を引き取りました。死の寸前まで元気であり続けられたのが、56歳という年齢のおかげなのか、それとも標準治療を選ばず、抗がん剤や放射線で体力を落とさなかったからなのかは、誰にもわかりません。
漫画家。1971年生まれ。一橋大学商学部を卒業後、講談社ヤングマガジン ギャグ大賞に応募して大賞を受賞。ダメ男を好きになる女たちを描く『だめんず・うぉ~か~』がブレイク、「だめんず」が流行語に。著書に『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』(小学館)など。
夫は、ステージ2Bの膵臓がんだと告知されると同時に「このまま何も治療をしなければ、悪ければ半年、どんなに長くても1年」と、余命を宣告されました。セカンドオピニオンに行っても同じでした。医師によると、膵臓がんは、がんの中でも致死率が特に高く、抗がん剤でがんを叩いたうえで手術が成功しても5年生存率は約2〜4割。つまり、きつい抗がん剤治療をしても、助かるとは限らないのです。夫と同じ膵臓がんで21年に亡くなった作家の山本文緒さんや、原発不明がんの森永卓郎さんも、一度抗がん剤治療をしただけで苦しく、体が弱り、抗がん剤をやめました。夫と近い時期にステージ1Aの早期で膵臓がんが見つかり、即手術を選んだ方が、術後1カ月で合併症を起こし亡くなった話も聞きました。手術を選ばなければ、1〜2年は生きられる可能性が高いケースでした。
膵臓がんの厳しさを知り、セカンドオピニオンを渡り歩くうちに、生き延びることは考えず、標準治療をしない方向に夫の気持ちが固まっていきました。「人生に後悔はないし、やりたいことはやった。抗がん剤でジリジリ苦しみながら生きるなら、そんなに長く生きなくていい」と……。もちろん、私は少しでも長く生きてほしい気持ちはありましたが、夫の人生は、夫のものです。命に直結する治療の選択は、夫がすることであり、医師や家族が決めることではありません。迷いなく標準治療を受けないことを選んだので、私もその選択を受け入れました。
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