定年のない世界ではまだ若造扱い
18歳で前職の食品製造会社に入り、気がつけば30年以上が過ぎていました。工場で生産管理を担当し、比較的若いうちから管理職も任されていました。しかし、50歳が近づく頃には、「このまま定年まで働いて、その先どうなるのか」と考えるようになりました。責任は重いのに、自由は利かない。管理職は残業代もつきませんし、仕事量と待遇のバランスにも、だんだん違和感を持つようになっていました。
ちょうどその頃、子どもたちが会社勤めを始めて、家庭を持ち、私たち夫婦の生活は一段落しました。一方で、知人から定年退職した直後に亡くなってしまった人の話を聞きました。じつは私の父も、定年を迎え年金を受け取る年に亡くなっていました。そういった出来事が重なり「このまま会社の中で決められた仕事を続けるだけでいいのだろうか」と疑問を抱いたのです。
そこで思い切って、50歳で会社を辞めました。これからは、自分のペースで働きたい――。そう考えたとき、もともと兼業農家として続けてきた農業が、自然と頭に浮かんだのです。
実際に動き出して、まず驚いたのが周囲の年齢でした。地域には70歳を過ぎても、元気に働いている先輩方がたくさんいました。会社勤めをしていた頃の自分は「あと10年で定年」と思っていたのに、農業の世界に入った途端「まだ若いんだから頑張れるだろう」という空気なのです。定年のない農業では、50代なんてまだ若造扱いです。
そうなってくると「何をつくるか」という問いが変わってきました。「好きな作物は何か」ではなく「自分が長く働き続けるために、どの作物が合っているか」という考え方になりました。そうして選んだのが「アスパラガス」だったのです。理由は2つありました。
1つはアスパラガスが「永年作物」だったことです。毎年苗を植え替える必要がなく、一度定植すれば15年から20年は同じ株で収穫を続けられます。自分の中では「75歳くらいまでは働きたい」という思いがありましたから、その時間軸に合っていました。もう1つは、アスパラガスは年数が経つにつれ、少しずつ収量が落ちていく作物だということでした。普通は「収量が落ちる」と聞くと欠点に思えるかもしれません。けれど、私には自分が年齢を重ねて体力が落ちるのに合わせて、農作業の負担が減っていく作物なのだと思えました。「どう年を取っていくか」まで含めて、アスパラガスという作物が人生設計に合っていたのです。
会社員時代の経験は、農業にも生きました。工場で30年以上、生産管理をやってきましたから「どうすればもっと早く成果が出るか」を考える癖が染みついていたのです。アスパラガスは収穫まで3年かかると言われますが、「本当に3年もかかるのか」と疑ってかかり、毎年新たな株を植える農法など、各地の農家を訪問し、試行錯誤しました。その結果、転身から1年半ほどで、生活できる出荷量まで持っていけました。今では、年間売り上げは約1500万円にのぼります。
ただ、金銭的には決して楽ではありませんでした。ビニールハウスの建設や井戸の整備など、初期投資だけでも1200万円ほどかかりましたし、50歳で新規就農する人間が使える補助金制度も、当時はほとんどありませんでした。最初の1年はほとんど収益もなく、大雨や台風、大雪のたびに、夜中でもハウスへ向かったものです。
それでも、気持ちの面ではずいぶん楽になりました。太陽の下で働き、自分で仕事のペースを決められます。「ここまで頑張ろう」「少し力を抜こう」といった調整が、自分でできる。会社勤めの頃は、なかなかそうはいきませんでした。農業では頑張った結果が、そのまま収穫として返ってきます。やっぱり、太陽の光を浴びながら働くって、大切なのだと感じています。
40代で「現場力」を残せない人は60代で詰む
継続雇用を選ぶ前に知っておきたい現実
転職するなら、50代前半が一つの区切りと言えるでしょう。転職も視野に入れているなら、「他社で通用する力があるか」「挑戦意欲があるか」について考えてみるべきです。転職経験がない人は、自分の「市場価値」を見極めるのが難しいでしょう。転職エージェントに依頼すれば、客観的に評価してくれます。40代以上の管理職が市場価値を高めたいなら、いまのうちから「プレーヤーとして成果を出せる現場力」をキープしておくこと。60歳以降の選択肢を広げるカギになるでしょう。
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