挑戦に失敗しても命までは取られない

私の名前は、平和の「和」に夫と書き「和夫」。弟は「憲」に「夫」で「憲夫」。私は外交官に、弟は弁護士になりました。両親は、戦争ですべてを失った世代でした。その親が平和への願いをこめて、子どもにつけた名前が「和夫」だった。ですから、私のキャリアの原点には、ずっと「平和」がありました。

外務省に入り、日本人初の国連難民高等弁務官である緒方貞子さんの補佐官として国連の仕事に関わるようになってからは、途上国を飛び回る日々でした。「人間の安全保障」をどう実現するかを考え続けていました。

息をつく間もない日々で、本当に充実していました。ただ、10年ほど現場に身を置く中で「国連は、お金が回る仕組みにはなっていない」と限界も感じるようになったのです。国際協力は先進国の資産を途上国へ届ける仕組みではありますが、その資産はすぐに尽きてしまう。「途上国の側でお金が循環する構造をつくらなければならない」と考えるようになり、ビジネスと公共セクターをつなぐ仕事を意識するようになりました。

(構成=渡辺一朗 写真=本人提供)