少子化、人口減少にナフサ不足。国内の清涼飲料市場は厳しい状況に置かれている。今年3月にアサヒ飲料新社長に就任した近藤佳代子さんは、どう率いていくのか。「一番大切なのは、お客様との接点である現場だ」と話す近藤新社長に、ジャーナリストの永井隆さんが聞いた――。(後編/全2回)

ヒット商品はメーカーだけではできない

――一番思い出に残っている商品は何ですか。

【近藤】社長になってからの(経営者と現場の社員が直接対話する)タウンホールミーティングでも話したのですが、「ワンダ モーニングショット」です。

――2000年代の前半、アサヒ飲料の経営は厳しかった。そこから、「ワンダ モーニングショット」(発売は2002年10月)のヒットでV字回復する。そのときは、どんな思いでしたか?

【近藤】会社はこの先、どうなってしまうのかと不安でいっぱいなとき、この商品がヒットして立ち直っていく。

当時私は、原材料の調達部門にいて缶を担当していた。一気に新商品が売れたため、サプライヤーである缶メーカーに対し、「来週中に20万箱をお願いします」と無理な要求を、私は出したんです。缶の増産は簡単にはできないことを知っていながら。なのに、缶メーカーは要求に応えてくれた。相当な無理をしたはずですが、ありがたかったです。ヒット商品とは、最終商品のメーカーだけではできないのです。

債務超過に陥るのは時間の問題だった

「ワンダ モーニングショット」発売の直前、当時のアサヒビール専務だった荻田伍氏がアサヒ飲料副社長に就く。荻田氏は2015年4月、当時について筆者に次のように話した。

「自分のサラリーマン人生は終わったと思いました。アサヒ飲料は赤字が続き、債務超過に陥るのは時間の問題だったから。私が再建できるとは思えなかった」「ただし福地茂雄(当時のアサヒビール会長、後にNHK会長)さんから、『お前一人では行かせない』と言われ、有能な人材をつけてもらった」。

菊地史朗氏(後にアサヒ飲料社長)、小路明善氏(現アサヒGHD会長)、平山健史氏(後にアサヒカルピスビバレッジ社長)が一緒に送り込また。

荻田氏中心の4人だけで新製品の販売政策などすべての重要案件を、素早く決定していく。「経営再建で大切なのはスピード。決定が遅れると、特に営業現場は混乱します」と荻田氏。その後荻田氏は、アサヒ飲料社長、アサヒビール社長、同会長となり経団連副会長も務めた。

――荻田さんから学んだことは?

【近藤】いまも忘れません。雨の中、街角で、荻田さんが先頭に立って「ワンダ モーニングショット」のサンプルを、道行く人に配っていた。その姿は、社長になった私の中に焼き付いている。あれこそが経営者なんだと。最悪期からの反転攻勢を経験しましたが、トップで会社は変わります。

「極旨(ゴクうま)」の発表会で特製グラスを配布するアサヒビールの荻田伍社長(右)=2006年10月16日午後、東京・丸の内
写真提供=共同通信社
「極旨(ゴクうま)」の発表会で特製グラスを配布するアサヒビールの荻田伍社長(右)=2006年10月16日午後、東京・丸の内

実はいまでも荻田さんと時々飲んでいて、2月にもご一緒した。84歳とは思えないほど、ビールをたくさん飲まれていて、元気をもらいました。