オタフクソース(広島市西区)は、ソース業界でシェアトップクラスを誇る。現在は、海外進出も果たし、グループの連結売上高(25年9月期)は324億9000万円と過去最高となっている。業界としては最後発となるソースの開発・販売だった同社は、いかにして現在の地位を築いたのか。オタフクソースの佐々木孝富社長に、ライターの鬼頭勇大さんが聞いた――。(第1回)
オタフクソースの佐々木孝富社長
撮影=プレジデントオンライン編集部

「お好み焼き」か「お好み焼」かを会議で議論

「経営会議で『お好み焼き』か『お好み焼』か、つまりお好み焼の『き』の字があった方が良いのか、ない方が良いのかを議論することもあるんです」

そう話すのは、「お好みソース」で圧倒的なシェアを誇るオタフクソースの佐々木孝富たかとみ社長だ。

西日本で根強い「粉もん文化」。その代表格であるお好み焼は、大阪と広島の二大拠点があり、双方のバトルは時折ユーモアを交えながらクローズアップされることがある。もはや双方の譲れない文化となったお好み焼の立場を向上させてきた立役者が、Otafuku(オタフク)グループだ。

1952年に「お好み焼用ソース」を発売した同グループの中核を担うオタフクソースでは、社内に「お好み焼課」を設けるにとどまらず、新入社員向けに「キャベツ研修」を行うなど、徹底してお好み焼に精通した社員を育成し、業界トップとして「食文化としてのお好み焼」の発展に貢献してきた。冒頭の発言は、同社のお好み焼に対する本気度が伝わるエピソードである。

佐々木社長に、なぜそこまでしてお好み焼にこだわるのか。そして、どのようにお好み焼の地位向上を果たしてきたのか、話を聞いた。