だが、実際は、課長層がより高い比率で「そう思う」を選択しているのは、1番下の2項目にあるように、仕事量の多さと労働時間の長さである。課長層は部長層に比べて、仕事量が多く、労働時間を長いと感じる比率が高いのである。

ここまで見てきたデータや分析結果は、あくまでも状況証拠である。ある程度の格差は観察されたように思えるが、これが課長層の地盤沈下かどうかは明確にはわからない。逆にここで見られた傾向は、課長層の地盤沈下ではなく、部長層の上昇だとも考えられる。部長層の選抜が絞り込まれ、経営層レベルに近づく中、考えられる可能性かもしれない。だが、いずれにしても問題は、課長層で、経営参画や発言の機会が少なく、成長を促すチャレンジングな仕事もなく、仕事上の裁量も不十分で、納得感や尊重されているという感覚が乏しくなっていることなのである。また、その中で、給与は相対的に見て上昇せず、仕事の量と労働時間は増えている可能性がある。

『なぜ真面目な課長ほどできる若手をつぶすのか』(http://president.jp/articles/-/5765)で、私は、ミドルマネジメントを、ローマ神話の双面神ヤヌスにたとえ、まさにミドルがトップ(経営層)とボトム(現場)の中間に位置することで発揮できる戦略性が、組織の競争力にとって重要だと主張した。そのときには、ミドルが誰かについては特にこだわらなかったが、考えてみると、本当にトップとボトムの結節点にいるのは、ミドルの中でも課長層であろう。部長層が今までより経営層に近づくなかで、ボトムとトップを繋げるのは課長層なのである。その意味で、真のミドルは課長なのであり、組織力を保つためには、課長層を育て、活性化することが重要なのである。

今、日本の企業の課長層がそうした位置づけにあるのか。課長層がただ忙しく働き、権限も与えられず、成長の機会もなく、すり減っていないか。さらに、次の部長層、次の次の経営層は、現在の課長層から出てくるのである。優秀な課長を探し出し、育てる努力をしているか。

冒頭の母と子の会話にあるように、課長になることは、稀で名誉で、“すごい”ことなのである。でも、課長になった後で、どれだけすごいことができるのか。こうしたことが問われ始めている。経営者として、この問題意識は大切である。

(平良 徹=図版作成)
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