トラック運送業は「ブルーカラーの花形」だった
トラックドライバーの間では、誰が言い始めたか「航海」という言葉がよく使われる。「トラックが自身の会社を出発して帰ってくるまでの運行」のことだ。
一度地元を離れ、日本という“大海原”に出ると、時に1週間近く家族や友人らと離れ、ひとり愛車を走らせながら全国の見知らぬ地を漂い続ける。
「航海」は、そんな過酷で切なくありながらも、彼らの誇り高さを見事に表した言葉だと思う。
高度経済成長を経てバブルを迎えたころ、日本では過重労働が年々激化。「24時間戦えますか」と挑戦的に問いかけるCMのフレーズは、当時流行語大賞の候補にもなった。
その頃、トラック運転業は「ブルーカラーの花形」だった。「3年走れば家が建ち、5年走れば墓が立つ」と言われるほど過酷ではあったが、その分頑張れば稼げたのだ。
かの居酒屋チェーン店「ワタミ」の渡邉美樹社長も、当時佐川急便のドライバーとして起業資金を貯めたのは有名な話だ。
同氏と同じように、様々な夢や事情、過去を背負い、「稼ぎたい」と思った当時の多くの若者たちも、そんなCMの問いかけに「はい、戦えます」と高く手を上げ、自ら過酷な現場に足を踏み入れた。
働き方改革、誰得なのか
しかし1990年、業界の未来を大きく変えた事件が起きる。物流2法における「規制緩和」だ。国は、運送事業者として新規参入するための条件を大きく緩和したのだ。
その結果、4万社だった事業者は6万3千社に激増。これにより運送事業者たちは、運賃の値下げや、ドライバーによる検品やラベル貼り、棚入れといった"サービス業務(附帯作業)"の提供など、身を削っての「荷物の奪い合い」を余儀なくされる。
追い打ちをかけるように、その翌年にはバブルが崩壊。結果、運送業界は「他に変わりはいくらでもいる」と脅される完全な「荷主至上主義」となり、「ブルーカラーの花形業」は、一気に「稼げずキツイ仕事」に様変わりしたのだ。
あれから30年余り――。先の若かりしドライバーたちが現在の現場の約半分を占める50代以上のベテラン層となって迎えた2024年4月1日、他業種に5年遅れてドライバーの現場にも「働き方改革」が施行。現場からは、自身の「航海」に対する様々な「変化」の声が集まってくるようになった。それらの多くは、残念ながらいい報告ではない。
先日SNSでドライバーに行った簡易アンケート(n=262)では、「働きやすくなった」と答えたドライバーはわずか6.5%。逆に働きにくくなったと答えたドライバーは37.8%にも及んだ。
そんなドライバーの声はじめ、業界の各現場を取材していると常にこんな思いにさせられる。――この「働き方改革」は、一体誰得なのだろうか。