マーケティングにおいて「顧客志向」は基本だが、その方法を誤ると「思考の罠」へと転じることになる。「顧客志向」の課題は、連立方程式を解くことであると筆者は説く。
高度な技術を開発すれば事業は成功するか
「顧客の声に忠実であることが優良企業を苦境へ追い込んでいる」。このような指摘を、高名な経営戦略の理論家であるクレイトン・M・クリステンセン氏が、その主著、『イノベーションのジレンマ』のなかで行ったのは1997年のことである。「顧客志向が企業の苦境の原因」という指摘は、マーケティングの意義を根幹から揺さぶるような主張のようにも思える。今回は、この顧客志向の罠を企業が乗り越えていくための道筋を、同じく高名な戦略的マーケティングの理論家であるジョージ・S・デイ氏の見解を参照しながら検討していくことにしよう。
そこから見えてくるのは、顧客志向という課題を実践することの重たさである。「顧客を事業の土台とする」という命題はわかりやすい。だがその実践は、体力的にも知的にも重たい課題なのだ。
クリステンセン氏は、技術開発の先端をいくイノベーターが直面するジレンマを指摘する。このジレンマを乗り越える努力を怠れば、いかに日本の産業が技術開発やものづくりに長けていても、「技術立国」は絵に描いた餅となる。このことを私たちは肝に銘じておく必要がある。
さて、クリステンセン氏は、ハードディスクドライブの技術革新の歴史を振り返り、「高度な技術を開発すれば、事業は成功する」との思い込みの危険性を、次のように指摘する。
ハードディスクドライブの世界的なリーダー企業であるシーゲイト・テクノロジー社は、80年代に3.5インチのハードディスクドライブの事業化に乗り遅れるという失態をおかした。このときにシーゲイトは、技術開発で後れを取ったわけではない。シーゲイトは高度な研究開発力を誇るイノベーション企業であり、3.5インチのハードディスクの技術開発でも最先端を走っていた。
何が問題だったのか。市場サイドに目を向けると、シーゲイトは当時5.25インチのハードディスクの最大手企業だった。そして、この3.5インチより一回り大きいハードディスクの主要顧客は、IBMをはじめとするデスクトップ・パソコンのメーカーだった。当時は現在とは異なり、据え置き型のパソコンがまだ主流の時代だったのである。