神社に参拝する時、お賽銭をいくら出すのがいいのだろうか。社会心理学者で神社案内人を自称する八木龍平さんは「5円(ご縁)、15円(十分なご縁)などが縁起のいい金額とされるが、特に根拠はない。硬貨の入金に手数料がかかる現代では、1円や5円を使うのはむしろ迷惑になりかねない」という――。

※本稿は、八木龍平『成功するビジネスパーソンは、なぜ忙しくても神社に行くのか?』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

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おさいせんの金額の「語呂合わせ」に根拠はない

おさいせんの金額はいくらがいいと、語呂合わせが色々考えられています。5円は「ご縁」だと、語呂合わせ好きな方に人気です。一方10円は「遠縁」だと敬遠される傾向があります。

語呂合わせに特に根拠はなく、語呂合わせ通りの結果が出ているのかも不明ですが、ひとつの基準として採用される参拝者も多いようですね。

神様を敬う精神を説いた「御成敗式目」の観点で見ると、おさいせんの目的は社寺が存続するためです。

御成敗式目は武士たちにこう説いています。

・神社を修理してお祭りを盛んにすること
・僧侶は寺や塔の管理を正しくおこない、建物の修理と日々のおつとめをおろそかにしないこと

ここまでお読みになった方ならば、神社とお寺の存在意義や存在価値をよくご理解いただいたと思います。「こんな場所が日本にあるなんて素晴らしい」とご先祖さまに感謝された方もいるでしょう。神社もお寺も日本の中でコンビニよりもたくさん存在し、地域コミュニティのつながりを支えています。この神仏に恵まれた状況は「当たり前じゃない」と御成敗式目を読むと思います。

「5円」を出すのは迷惑になりかねない

建物を修理し管理し、お祭りを盛んにし、おつとめをおろそかにしない。そうやって多くの人の「敬」の精神で神仏の「威」は保たれています。

おさいせんを出すのは、この素晴らしき神社・お寺の存続や神仏の「威」を支えるためです。出す金額や語呂合わせでご利益が変わるとか、そういうことではありません。社寺の存続を支える「敬神・敬仏」の意思があるかないか? これだけです。

要するに「敬う気持ち」が根本です。多額な寄進や語呂合わせも、そこに「敬神・敬仏の気持ち」があるなら、神威を受け取り、神徳(神様の使命)を果たす助けになるでしょう。

そう考えると、語呂合わせの金額は、そこに敬いや社寺存続の気持ちが入るのでしょうか? 正直、敬う気持ちが伴いにくいように思います。

特におさいせんでよくある「5円」など小銭を出すのは、現代の経済事情において、社寺の存続に役立たないどころか、迷惑になりかねません。