「20歳になった頃には、人間の心の動きなど、メカニズムを見るようにわかってしまった」とは、夭折したフランスの作家、レイモン・ラディゲの言葉である。『ドルジェル伯の舞踏会』では、微細な心の動きが、複雑でありながら、ある種のメカニズムの法則のように描かれていた。車で隣り合わせになった婦人の肩とシートの間にはさまれてしまった掌を、そのままにしたほうがいいのか、あえて離したほうがいいのか、そんな微細なことにまで、心のメカニズムが働いている描写を、20歳の人間が書いているのである。男女の感情の動きも、天才にとってはメカニズムとしてわかってしまうのかもしれない。もちろん、それは科学的な捉え方とは違うけれど。

脳について書かれた本は、書店でひとつのコーナーができてしまうほど無数にある。本書は120ページほどの薄い本なのだが、日々振り回される感情や倫理感と、脳とのかかわりが、できる限り科学の視野から捉えてみるとどんなものなのか、私のような門外漢にもわかりやすく解説されている。

著者は「意識」という科学になりにくい対象を、科学的なアプローチで研究している学者である。「意識という主観的経験がいかに脳という物理的な基盤から生じてくるのかを、実証科学として理解することを目指している」という。

「我々は、あたかも自分の行動はすべて自分の意志で決めているような気分でいるが、たいていのことは、自分の意識と離れた脳のどこかで密かに決められている」から、「脳を研究することは人間の無意識と向かい合うこと」であると著者は言う。本書では、個々の人間の道徳感情や政治的性向、他者への共感や信頼、幸福感などの違いは、脳の構造の違いによるものだということを、さまざまな実験と検証の結果をもとに解説している。

20世紀の心理学では、人間が外からの刺激に対してどのような反応をするのかといった「行動」のみを研究対象とする行動主義心理学が主流であった。見ることも触れることもできず、主観でしか捉えられない「心」の研究は、実証科学としては成り立たないと考えられたためである。しかし、脳の研究が進化するにつれ、意識や感情、ひいては倫理的価値観といった主観的な領域を、客観的に学問として扱えるようになるかもしれない。本書はその可能性を平明に著述している。

それにしても、「共感という認知能力が道徳の基本」(アダム・スミス)といった仮説が脳の構造から検証されたり、はたまた他人の評判をどの程度気にするのか、政治的な考え方がリベラルか保守的か、どんなときに幸福を感じるかなどが、脳の構造によってある程度解明されてしまうことになるとすれば、それはそれでどうなのだろうと、本書を読みながら考え込んでしまった。

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