社会で生きていく術を知らない若者たち

2021年3月に、「児童養護施設等への入所措置や里親委託等が解除された者の実態把握に関する全国調査(令和2年度子ども・子育て支援推進調査研究事業)」が公表された。こういった調査が行われたのははじめてのことだった。本書では詳しくとりあげることはしないが、この調査で浮き彫りになった問題のひとつに、高山さんが経験したような社会的養護のあとに待ち受ける貧困問題がある。

彼以外にも、生活保護を受けている人のなかには児童養護施設などの出身者が少なからず存在している。彼らは一様に、社会で生きていく術を知らないようだった。

事例Aで紹介した佐々木さんは、病気の治療と、それに伴う療養が一度に重なって仕事を続けられなくなった。普通なら、そこで親に頼るだろう。きょうだいにも親戚にも頼るかもしれない。しかし、彼女にはそれがない。友人や知人にも相談する発想がなかった。むしろ、そうすべきではないと思っているようだった。

事例Bで紹介した中田さんは、乱暴な母親に忍従するだけだった。彼の話を聞くと、「母親の言うことなんて聞かないで、自分の思う通りにすればいいのでは?」と、思わず口から出てしまいそうになる。

事例Cで紹介した高山さんにいたっては、そもそも自分の人生を能動的に考えていこうとする姿勢すらないように見えてしまう。多くの場面で彼に対する誤解が生まれてしまうだろう。それは、「やる気がない」「怠けている」などである。

国の福祉制度は「助けあえる家族」が前提で作られている

ここまでに事例を三つ紹介した。彼らの共通点は、

子が親に頼らない、頼れない
親が子の窮状に無関心で、共感がない

というものだった。なかには自分の子に対して積極的に攻撃する親もいたが、そうすることによって自分の子がどんな気持ちになるのかという視点がない。だから、これも自分の子に対しての一種の無関心と言える。

彼らの家族の影は薄いか、気配をまったく感じさせない。

それに付随するように周囲にも人がいない。実際にはいたとしても、危急が差し迫っても頼ろうとせず、彼らは、まるで人や社会を避けているかのようである。

植原亮太『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)

虐待を受けてきた彼らの自己主張は弱く、受身的だった。人と関わり、社会のなかで適応していくことに心理的な困難を抱えているようだった。これらの特徴を、三つの事例を通して述べてきた。

しかし、さらに輪をかけて彼らを追いつめているものがある。

それは、この国の福祉制度である。

行政が行う公的支援は、家族を単位にして考えられている。しかもその家族の前提は、相互に支えあう機能を持っている(虐待が起きない)、いわゆる「普通」の家族である。だが、虐待を受けてきた彼らは、家族の支えや助けあいとは程遠いところで生きている。

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