なぜ児童虐待はなくならないのか。精神保健福祉士の植原亮太さんは「多くの人は『親であれば、自分の子に無関心のはずがない』と思い込んでいるが、現実はそうではない。親子の時間を増やすことで、虐待が悪化するケースもある。虐待を減らすには、親子関係のあり方を問い直す必要がある」という――。
自宅で孤独な悲しい少年
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現行の「児童虐待」の対策は間違っている

幼少期に実の両親などから身体的・精神的虐待を受けてきた“虐待サバイバー”の話をカウンセラーという立場で聞いていると、私たちが考える児童虐待関連の対応や支援は、大きく間違っているのではないのかと思うことがあります。そのせいで、実は私たちこそが、彼らの自立や精神的回復の足を引っ張っていることすらあるのではないのかとも感じます。

なぜ良かれと思った支援が逆に彼らを自立から遠ざけてしまうのでしょうか。

まず大前提として、児童虐待の多くは親と子の「愛着関係の不成立」によって起きます。

多くの親子は「愛着関係」が成立している

愛着関係とは、イギリスの精神科医であるジョン・ボウルビイ(John Bowlby、1907~1990)が提唱した概念です。簡単に説明すると、「母親(あるいは代理母親)との暖かい、持続的関係」(注)のことを言います。

(注)『ボウルビイ 母子関係入門』(星和書店)

こういった愛着関係が成立している親子が、この社会ではほとんどでしょう。おそらく、私もそこに属しています。大多数の人々は、虐待とは縁遠い「普通の」親子関係の中で生きているのです。それが、児童虐待を見落としてしまったり被虐待者の「生きづらさ」を助長させてしまったりするひとつの要因だと思うのですが、この説明はまた後にするとして、話を愛着関係に戻します。

児童虐待とはどういうものかを理解してもらうために、次にいくつかのエピソードをあげていきます。どれも、ごく一般的な家庭で成育してきた立場の感覚では、とても信じられないものだと思います。