その後のキャリアを決定づけた最初の仕事

ナイキ創業者フィル・ナイトの自伝『SHOE DOG』を読んだとき、私は当時の自分を思い出しました。靴のビジネスに懸けるナイトの熱いアントレプレナーシップは、いまの日本人が忘れかけているものでしょう。いま日本の産業競争力を輝かせようとベンチャー企業を支援する私は、この本やベン・ホロウィッツの『HARD THINGS』がベストセラーになってうれしく思いました。

起業家精神は、大企業にいても必要です。私が最初に新規事業を担当し、小さな部署でビジネス全体を見渡せたのは貴重な経験でした。その後のビジネス人生で、私がいくつもの失敗と成功を繰り返せたのもあの経験があったからだと思っています。

28歳で結婚して子どもができてから、自動車部門へ異動になりました。アジア市場が担当です。新入社員と一緒に自動車について一から勉強し、まるでモーターボートの中小企業から自動車会社に転職した気分でした。

このとき担当したのが、中国でライセンス生産を立ち上げるプロジェクトです。当時の中国は改革開放がスタートして数年。日本の自動車メーカーとしては先駆的な進出ですから、お互いにビジネスの感覚が通じません。中国側の担当者といくら交渉を重ねても、いっこうに折り合いがつかない。「どうして、あんな発想をするんだ」と頭を抱える時期がしばらく続きました。そのときにふと「自分は中国人の考え方が根本的にわかっていないのかもしれない」と気づきました。そこから勉強を始めたのが中国の歴史です。『十八史略』『水滸伝』などの面白そうな本から読みあさりました。

そのなかで最も惹きつけられたのが『三国志』です。初めに読んだ吉川英治のものがとにかく面白くて、そこからいろんな作家の『三国志』に広がっていきました。中国の『三国志』には、陳寿が著した歴史書と、歴史小説の『三国志演義』があります。吉川英治などの作品は、ほとんどが『三国志演義』をベースにしたもの。劉備、関羽、張飛、諸葛亮、曹操、孫権など個性あふれる登場人物たちは、どれも中国人のあるタイプを代表するようで、交渉の教科書としてはうってつけでした。

それから20年ほど経った2000年代初め、日産は東風汽車と合弁会社を設立して中国市場の開拓をさらに進めます。このときも私が交渉役でした。東風汽車の主な拠点は、『三国志』ファンには馴染み深い湖北省の武漢市や襄陽市にあります。武漢には「赤壁の戦い」の赤壁、襄陽には「三顧の礼」の古隆中があるのです。私は運命を感じて、東風汽車の幹部たちに自分が好きな場面をいくつか語って聞かせました。相手はもちろん「日本にもこんなに詳しい三国志ファンがいるのか!」と驚き、大よろこびでした。