「52歳で起業」の“アメリカンドリーム”
レイ・クロックがハンバーガー店の「マクドナルド」と出合ったのは1954年。当時52歳でした。そろそろ社会人として“先が見えた”年齢からの起業に驚く人は多く、孫氏もこう指摘しています。
「レイ・クロックは52歳という年齢から大きな仕事を始めている。(中略)それこそまさにアメリカンドリームですね。日本で50歳を超えた人が道端のレストランを見ても、なかなか起業には踏み出さない(笑)」
(『成功はゴミ箱の中に』特別対談より)
さらに、クロックのベンチャー魂とアメリカ社会の持つ自由な精神も指摘しています。
「自由な競争が認められる社会でなければベンチャー企業家は活力を発揮することができません。アメリカからは新しい産業が生まれてきますが、それはアメリカ社会に起業家をはぐくむ風土があるからではないでしょうか。若者、女性、他の国からやってきた人でもやる気さえあれば会社を興し、大きくしていくことができます」
(『成功はゴミ箱の中に』特別対談より)
ご存じのように、孫氏自身は、60歳となった現在も新たなビジネスチャンスをうかがって次々に行動を起こしています。ソフトバンクグループが連結で約8兆9000億円をたたき出す巨大企業となっても、事業拡大に貪欲な姿勢は変わりません。一方で事業の中身は変化させ続けています。進化論を唱えたダーウィンの「種の起源」のような「世の中で生き残る者は、身体の大きい者でも、強い者でもなく、変化に対応できた者のみ」を事業で実践しているのです。
「バブル紳士」にならない「事業家」
レイ・クロックは巨万の富を築いても「バブル紳士」とはなりませんでした。公私の別には厳しく、会社のクレジットカードは使うが、会社で使う経費はほとんど自腹。社用飛行機や特別仕様のバスも自ら購入し、マクドナルド社に年間1ドルで貸し出したそうです。
「私は金を崇拝したこともないし、金のために働いたこともない。金は厄介な代物だ。手に入れるより追いかけているほうがずっと面白い」
(『成功はゴミ箱の中に』より)
事業家として別の一面も見せます。後年には「レイ・クロック財団」を設立して、糖尿病、関節炎、多発性硬化症などの事業を支援したのです。自分や身内がこの病気に罹患したり、亡くなったりしたのも理由でした。各地の病院だけでなく、劇場、動物園や博物館には施設や設備を寄贈しています。当時、寄付総額で750万ドルに達したそうです。欧米流の「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる者に伴う義務)を実践したといえましょう。