みんな「アウトサイダー」だった
一方の孫氏は、日本マクドナルドの創業者である藤田田氏(1926年-2004年)とは因縁浅からぬ関係で、少年時代に藤田氏を通じてレイ・クロックを強烈に意識しています。
「藤田さんといえば私にはいくつもの思い出があります。私は藤田さんが書いた『ユダヤの商法』(藤田田著)を通して、マクドナルドとレイ・クロックがいかに優れているかを知ったのですから。まだ久留米にいた頃ですから高校生で、アメリカに留学する前のことでした」
(『成功はゴミ箱の中に』特別対談より)
強い関心を持った孫少年は16歳で高校を中退して渡米。夏休みで帰国した際に藤田氏との面会を熱望し、念願かなって会うことができました。そこで「これからはコンピュータビジネスの時代だ。オレがおまえの年齢だったらコンピュータビジネスをやる」と言われます。孫氏のビジネスの方向性を決定づけた“メンター”が藤田氏だったのです。ちなみに後年、藤田氏は孫氏の要請を受けてソフトバンクの社外取締役に就任しました。
興味深いのは(柳井氏が指摘していますが)、ここで登場する4人=レイ・クロック氏、藤田田氏、柳井正氏、孫正義氏はいずれも「アウトサイダー」(門外漢)だったことです。クロックは、ミルクセーキ用ミキサーのセールスマンとしてハンバーガー店「マクドナルド」を知り、藤田氏は、日本マクドナルドを創業する前はダイヤモンドやハンドバッグの輸入ビジネスをしていました。柳井氏は、ファッションビジネスを東京・銀座や青山で始めた人ではなく、山口県宇部市から事業を“東上”させた人。通信業界で、もともと官製企業だったNTT(日本電信電話株式会社)グループの牙城に挑んだ孫氏もそうです。
企業の現場では、「これまでのやり方を変えるのは、しがらみにとらわれない余所者(よそもの)や若者」ともいわれますが、業界の常識に染まっていないアウトサイダーがイノベーションを起こしたのです。