異文化間交渉についてのアドバイスの変遷
過去数十年にわたり、交渉アナリストたちは異文化間交渉における障壁を乗り越えるためのさまざまな戦略を提案してきた。だが、必ずしもそのすべてが見事に機能してきたわけではない。進化を経たこれらの戦略は、経験則として次のようにまとめることができる。
(1)自分のスタイルを貫け
1970年代後半から80年代初めに主流を占めていた考えでは、海外で取引をまとめようとするアメリカ人は自分の通常のスタイルで交渉し、異文化への適応は相手にさせるべきだとされていた。この戦略は他国の潜在的ビジネス・パートナーに英語学習を促しはしただろうが、異文化間コミュニケーションを促進する助けにはほとんどならなかった。
(2)郷に入っては郷に従え
異文化間の交渉で自分の従来の交渉スタイルにしがみつくことは、両者が重大なコミュニケーションの障害を乗り越える助けにはならないということが、やがて明らかになった。その結果、振り子が正反対の方向に振れた。80年代半ばに人気を博した戦略では、アメリカ人のほうが他の文化の交渉スタイルに適応するすべを学ぶ必要があるとされていた。たとえば、ビジネス・チャンスを探るために外国に出かけるアメリカ人マネジャーは、文化的に適切なコミュニケーション・テクニックを教えてくれるセミナーを受講するよう促されたものだった。
残念ながら、このアプローチは新たな問題を生み出した。その一つは、ほとんどのアメリカ人が新しい交渉スタイルに完全に移行できなかったことだ。
(3)文化的な相違に敏感になれ
交渉に関する文献が示すアドバイスは、90年代初めに再び変わった。今度は、アメリカ人は自身の交渉の強みを犠牲にすることなく、文化的な相違に敏感になるべきだとされた。多くの企業が、新たに海外に派遣する社員には現地での「べからず集」を持たせている。こうした「べからず集」には、次のような教えが記されている。
・中東では、テーブルに足を載せて交渉相手に靴の裏を見せてはならない。
・中南米の一部地域では、値切る姿勢を見せなければ交渉をまとめることに関心がないと解釈される。
・日本では、会食の誘いは交渉成立後まで延期してはならないものと心得よ。