70年前に「つけ麺」を考案した山岸一雄さんの愛弟子の生き方
近年、個人経営のラーメン店が経営的に苦境に追い込まれているという報道を目にすることが増えた。個人経営店が苦しいのは他の業界も同じだが、とりわけラーメン店は人件費や原材料の値上げラッシュを価格に転嫁することがむずかしいとされ、消費マインドが冷え込んでいることからも、この傾向はしばらく続くと考えられる。
とはいえ、いまや国民食と言われるまでに成長したラーメン界が、このまま衰退していくとは考えにくい。消えていく店がある一方で、チェーン店にはない魅力を発揮してしぶとく生き残る個人店もあるはずだ。
私が6年前から取材を重ねてきた「お茶の水、大勝軒」は、そうした繁盛店のひとつ。2006年の創業から約20年間、店舗数の増減はあったものの好調をキープ。東日本大震災後の自粛ムードやリーマンショック、コロナ禍を従業員のリストラなしで乗り切って、現在は神田・神保町の本店と、志賀高原のある信州の山ノ内町店の2店舗で多くの客を集めている。
人気商品は、つけ麺とラーメン。昔ながらの味をかたくなに守って提供する王道路線だ。流行はまったく追わない。担々麺もなければ油そばもない。それどころか、新メニューとして登場するのは「復刻版○○」と命名された、昔ながらのメニューばかり。でも、それがまた受けるという不思議な店なのである。
繁盛店になれた理由には、経営者の田内川真介(48歳)が、東池袋「大勝軒」創業者で、“ラーメンの神様”と呼ばれ、1955年につけ麺を考案した山岸一雄(2015年4月1日に80歳で他界)の愛弟子の店という面も大きいだろう。とはいえ、弟子たちが開業した「大勝軒」のすべてが成功しているわけじゃない。では、ほかの店と「お茶の水、大勝軒」はどこが違うのか。それは、店主の真介が、自分の味で勝負しようとは一切考えていない点にある。
たくさんの志願者が弟子入り→独立した東池袋「大勝軒」では、ベースとなる味をこわさない範囲であれば、地域性に合わせた味やメニューを提供することが許されていた。ところが、真介だけは「おまえだけは味を変えるなよ」と言われたという。
弟子にとって、師匠の命令は絶対だ。腕を磨き、いずれは自分の味で勝負したいというラーメン職人としての願いは早くも打ち砕かれてしまった。自分だけにそんなことを命じる師匠に、人によっては反発を覚えるかもしれない。そうならなかったのは、なぜなのか。