鎌倉時代から室町時代において名将といえる武将は誰か。歴史評論家の香原斗志さんは「楠木正成があげられる。ただ、妄信的ともいえる天皇への忠誠を続けた結果、あっけなく滅んでしまった」という――。

皇居の一角にある騎馬姿の武将の正体

皇居外苑の、江戸時代には江戸城西の丸下と呼ばれ、幕府の重臣たちの屋敷が建ち並んでいた一角に、楠木正成の巨大な銅像があります。花崗岩の台座だけで高さが4メートルあり、銅像だけでも同じく4メートル、重量は6.7トンもあるそうです。明治33年(1900)年にここに据え付けられました。

皇居外苑にある楠木正成像
皇居外苑にある楠木正成像(写真=David Moore/CC-BY-SA-2.5/Wikimedia Commons

住友家が別子銅山開坑200年を記念して東京美術学校に制作を依頼し、高村光雲らが10年がかりで技術の粋を尽くして制作、宮内庁に献納したそうです。では、なぜ皇居外苑の一等地に、この像が立っているのでしょうか。それは楠木正成が天皇のために忠誠を尽くした英雄として評価されていたからで、明治政府はこの像によって、天皇への忠誠心の模範を示そうとしたのです。

では、正成が示した「天皇への忠誠心」とはどんなものだったのでしょうか。それを見ていきましょう。

正成が忠誠を尽くした天皇とはいうまでもなく、鎌倉幕府を滅亡へと導き、建武の新政をはじめた後醍醐天皇です。昔のような天皇親政を企てていた天皇は、討幕計画が幕府に漏れると元弘元年(1331)9月、笠置山(京都府笠置町)に逃げ、そこで元弘の乱を起こします。しかし、戦況は芳しくありません。

太平記』には、そんな折に楠木正成と出会ったと記されています。